• よろしくお願いいたします。お招き、どうもありがとうございます。本当に今、3Dプリンターってことばで出ましたけれども、3Dプリンター自体を僕が発明に関わったというよりも、3Dプリンターの中にも一分野、ビットマップなんですがビットマップ3Dという概念のみに関わっているので、その点は誤解なきようという感じ

  • がしますけれども、それでは、始めさせていただきたいと思います。8時25分までですよね。ちょっと作ったのが長すぎるので、きょうは、すごく急いでいきたいと思っております。「美術の視点から見える人工知能(AI)の革新性とテクノロジーと芸術の関係」ということで、作ってきたのが、ちょっと横長に作ったのが

  • なぜか、縦長に今なってしまってるんですが、それでいいですかね。

  • きょうのお話なんですけども、一応、6項目、立てまして、全然、今までの話と毛色が違って、申し訳ないんですが、1番目の話として美術、芸術、テクノロジーの話。2番目に自己紹介を持ってきてまして、3番目、4番目で芸術特許という僕の仕事、

  • 5番目、6番目で人工知能についての話を話したいと思っております。美術、芸術、テクノロジー。いただきましたお題がというか、清水さんが中ザワにこんなことをしゃべらせるといいんじゃないかなと考えてくださったものが、「美術の視点から見える人工知能

  • (AI)の革新性とテクノロジーと芸術の関係」ということで、このタイトルだけで見てみると、美術のことばと芸術ということばが入っていて、入っていて、これはアートといえますが、これはラテンのアルスに由来で、アルスの元の由来は技とかである。あと、テクノロジー、これは古代ギリシャ語のテクネですね。これも技術という意味であって、みんな、技術ですかね。人工知能にも@@@@@のアーティも技術的なものというのがありますけども、もともと、美術っていうのは、美しい技術、テクノロジーという意

  • 味から入っていて、神様や君主、王様をたたえるための美しい技術だったと。それが近代になって2重の意味で技術と美術が分離したと。1番目としては、神様、王様がいなくなった。神権、王権の失墜。2番目として、これも技術の話ですけど、写真が登場してきたと。例えば、これは美術の分野ですけどね。しかし、これらによって、

  • 美術はなくならなかったわけですね。今もあります。それは1番目、神権、王権の失墜はどうなったかというと、既成権威によらないと。

  • それ自体で美術が権威を持つみたいな流れになった。もう一つ、写真の登場によって実用によるもの、実利によらない。それ自体で、価値が美術にはあるというふうに考えるようになったということですね。これが、芸術の自律性。それから、芸術のための芸術ということばが出てくるところになっています。ただ、そうなると、価値基準がはっきりしないので、芸術は定量化できない、定義もできない

  • 。これは人工知能の知能も似たようなことですね。知能も定量化できないし、定義できないということで、芸術ということばはいろんな意味で、使われますけど、美術プラス音楽プラス文学という意味で使われてます。大文字のARTという言い方があって、これは、結局、技術、音楽、文学も、歴史によって規定されている部分がある。なので、芸術史が大事である。諸芸術史というようなことで、決められている部分もあるのでは

  • ないかということですね。さらに、近代の話として、美と美術は一緒になってきてます。結局、美を求めるのが美術ということではなくて、ある意味現代アートとか見てると

  • 説得力みたいなことばで考えればいいのかなと。美学ということばもありますけど、美学は哲学の一分野ですね。例えば、近代の最初のクールベの写実主義。これは@@@@@という燃えてしまった絵なんですけど、リアリズム@、金字塔の作品ですね。クールベは天使は描かない、なぜなら見えないからと言った人ですね。それまでは天使を描くだとかお花を描いたり、要するに美を描けば美術だったのが、そうではなくて、全然、美しくもなんともない醜いものを

  • 描く。時期的には、フランスの1948年の革命のころだったんですね。社会主義革命、だからむしろ現実は醜い、その現実を描くんだというようなことも説得力があるんじゃないかということですね。美と美術学の話でした。あと芸術と娯楽も分離してきています。人々の好みに合わせた作品がAIで作れるのではないかという昨今の話題とかっていうのは、商業的な話ですね、芸術側から見ると、商業的な話というのはやゆにも使われます。あの人は、コマーシャルアーティ

  • ストだから、結局ねみたいなのはやゆだったりとかする。ただ、ここは難しいですね。娯楽とすごく関わる現代アートもあったりします。いろんなケースがありますけど、ただ一般的に見て、やゆの対象として、イラストということばが使われたり、音楽だったら、劇伴といって、何かの伴奏として使われる音楽あと、売文家っていうのも、文を売ってるやつだとやゆとして使われますね。数年前、「ラッセンとはなんだったのか」という本が出て、ラッセン、エンターテインメントとどこが違うのかみたいなことも

  • 話題になったりと醸しています。こんなのが、きょう、話していく基調としてちょっとお話したかったことなんですが、自己紹介として、僕は作風は変遷するタイプの作家です。肩書きもそうだったりするんですけども、一定の作風の人もいますね。僕は歴史に並走して生きているリアリティを持っているので、ちょっと、変遷タイプなんですが、それとともに自筆文献が多い。美術史の記載もやって今いて、美術史もこのぐらい出していますけども、大文字のARTの話があったけど、結局、歴史が芸術の価値を

  • 規定していくみたいなところから、歴史書も自分で書こうというような状態になっております。自分の作風としては1963年生まれなんですけども、1980年ごろまでちまたでテクノポップなどあったころには、普通に水彩画を描いていて、その後、83年から7年間はアクリル画を描いていて、そのころ、ワープロが出たりして、ポストモダンだとか、あと第2弾、バカCGというふうに呼ばれたことがあったんですが、96年まで。ようやく89年ぐらいに出てきて、マッキントッシュで100万円

  • を切った、買って描いたもので、正方形なんですけども、だいぶ、長方形になってしまっていますが、これは正方形です。頭の中で変換しながら見ていただければと思います。あと、そのころ、バカCGということば、今、全然インパクトないと思いますけど、当時はコンピュータグラフィックスといえば、泣く子も黙る、すばらしきれいな、頭よさそうなことばだったのに、それにバカということばがついたようなところで、おもしろがっていただいたことがありました。ビットマップ3D、ビットマップ

  • ベクターという概念が、2Dのグラフィックスにあるんですけど、それは3Dにも実はあったということを誰も言っていなかったんですね。僕はビットマップ3Dということを考えついて、それを特許申請したのが、96年。それは後に2005年に芸術特許というプロジェクトとしてまとめられていきます。その96年の特許出願をきっかけに、方向性を変えまして、97年から方法絵画というもの。これは、普通の碁盤は19かける19なんですけど、これは35かける35で作ってい

  • るものですね。方法主義宣言というものを2000年に行う。そのあと第4期から本格絵画新方法@となっておりまして、「脳波@@@」という私の作品なんですけども、絵を描くのであれば、手を使わずに脳で

  • 描く。コンセプチュアルアーティストとしては、脳で直接、描くことこそ、本格的だろうということですね。2010年に新・方法主義宣言、あと2016年、ことし人工知能美学芸術宣言、先ほど美術家の中で一番、早いだろうと言っていただきましたが、僕としては、遅きに失しすぎるというつもりもあります。ようやく芸術特許の話なんですけども、まず概論として、特許と芸術は似たところがある。どういうところが似ているか。どっちも未視感、今まで、見たことがない、ジャビュ@、独自性、オリジナリティー

  • がなければいけない。こういったことはモダニズムということばで語られるものなんですが、その反対項を考えると既視感、デジャビュ、それから模倣。オリジナリティーがなかったり、あと、コストモダニズム@こういったことを主張する風潮だったんですけども、1番じゃなきゃだめなんです。2番じゃだめなんです。その中でも、特許と芸術の中でも僕がやっていたのは原理的特許であり、それから前衛芸術である。本丸であるところがあるんですが、そうすると、改良特許@じゃないので、必要は発明の母ではないという思いがあって、

  • あと、発明のための発明、芸術のための芸術ということが起きてきたりする。これはどういうことかというと、真善美ということばがあったりしますけど、真善美、それぞれが独立したかちなんですね、真は、真理を追求するということで、真理あるということで価値。科学の発見などはそれ自体で価値であると。だから、科学でノーベル賞を取って、これは社会でどういうふうに役に立つのかという報道がされると、うーん、違うんじゃないかなと思

  • ったりすることがあるんですけど、同じように美術も、美だけで価値であると。なので、美術はどのように社会の役に立つのかということが語られることは昨今の風潮ですら、それに対して、反抗しております。あともう一つ特許というと、排他的権威みたいな感じで捉える方が結構、いらっしゃるので、結構僕も苦労したんですけれども、それよりも、それを言いたいわけじゃなくて、そうではなくて、今まで世の中に考えたことがなかったものを

  • 出すと、なので、概念をきつ立することなんですね。概念のきつ立が主眼であって、それを、国家的権威によって、登録していただくというもの。むしろ、義憤だったりするんですね。なのに、特許をやってるとかっていうと、むしろ、白い目で見られるというか、かなり、苦労するんですけども、その辺は経産省の役人さんとかと話すと、むしろ、分かってくださっていて、みんな結構、特許取るような人たちは義憤でやっている人が多いよね、見たいな感じで、分かってくださってる人もいるんだと思います。

  • これはどういうことか。評価がまだない地平なんですね。原理的特許であり、あれ、前衛技術であれ、なので優等生ってものが存在しないんですね。評価すべき物差しがあれば、優等生っていうのがあるんですよ。しかし、物差しがないところに出ていこうとしているときに、物差しがないので、優等生自体がいなくて、何お前変なことやってるんだということになりかねない。ところが、あとでその特許が、あれは3Dプリンターみたいだったねみたいなことになると、コロンブスの卵状態に急になったりするので、今なら、3Dプリンターのひと言

  • で全然、分かるんですけど、僕が、ビットマップ3Dの中の一目として3Dプリンターのことを人に説明しようとするとものがそのまま出てくるんですっていっても要するに結局…、画像がプリントアウトされてくるんですかみたいな、そういうふうになかなか、理解してくださらなかったんですが、できてしまえば簡単ですよね。ということで、96年の僕のことを知ってる人にとっては、中ザワ株は買いだったということにあるんじゃないかと。実際は、ぐちゃぐちゃと書いてありますけども、パワポ以前、初めて使ったときに

  • 作ったものから抜粋があるので、ちょっとそれをお見せしますね。芸術特許とは画材の特許のプロジェクトであると。96年、20年前ですね。デジタル環境における新画材で特許出願を行ったと。そのとき、私は画材で作品を制作すること以上に画材の発明それ自体が芸術であると確信するにいたったと。経緯としては、ここは省略していきます。特許の画像なども出てきていますが、日本とアメリカで取ったりして、特許貧乏とかになったとき、維持費が必要なので。

  • これこそ芸術だと思って特許取得に、走ったのにもかかわらず、美術界には、一切、知られてないので、美術界には知られていないので、芸術特許と名付けようみたいなことがあったり、証券化をして維持費を捻出しようとして、これは、証券、当時、買ってくださった方は結局、もうけていただいたんですね。配当が出ました。内容の話に飛びますけども、画材としては、デジタルの塑造、造形にあたるわけなんですね。分野としてはソフトウェアとプリンターとディスプレイの3つにな

  • ると思うんですけど僕が、実現できたのはソフトウエアの特許と製品、プリンタの特許、製品はできていない。ソフトウエア、製品、○のところ、(△)とあるんですけどもどういうことかというと、ソフトウェア、これだったんですね、デジタルネンドという名前のソフトウエアだったんですけど、ネンドと言っておきながら全然、ブロックじゃないかと、さんざん、言われるんですね。それは理由がありまして、32かける32かける32の超低解像度なんですね。当たり前なんですね。96年のときのマシンスペックで

  • 、それでも3Dビットマップということを実現しようとしたので、そうすると、子どものおもちゃに見えてしまう。なので、こどものおもちゃとしてでもなくても、これはこれで本当は愛らしいすばらしい作品なんですけど、それは置いといて、自分の考えていることは、これが32かける32かける32じゃなくて、3万2000かける3万2000の世界だったら、もっと粘土のように、立体物、立体がその集積としてできるはずですというようなことですが、

  • いかんせん、製品がこれだと、みんながそこまで発想してくれない。だったら、どうするか、特許として概念を屹立しようということで、特許を取らざるをえないというところになるわけですね。同じようにソフトウエアの特許も取って、プリンタは自分の力では全然作れませんので、特許しか、概念しか取れないということになりました。3D、従来の3Dはデジタル彫刻だったんです。それに対して、塑造の考え方は全くなかった。彫刻と塑造という考え方があって

  • 、ベクターとビットマップというものに当たるんですけど、デジタルの2Dでビットマップとベクターの2つの系統、ベクターはアドビイラストレーター、ビットマップはアドビフォトショップ、画素があるタイプのほうが、ビットマップなんですね。がそがなくて、ベジェ曲線がベクターなんですが、それと同じようなことが3Dにもあったというか、3Dは、無意識で使ってたのは全部、ベクターだったということに僕が気付いた。この表自体がなんだと、2Dと3Dを一緒に表に

  • かけるということに気付くということが、そもそもの要なんですね。そうすると3Dビットマップというのは、ソフトウエアとしてはない、医療用スキャンだとか、そういうような分野ではあったんですよ。画像っていうか、造形分野ではなかったということです。これは、デジタルとアナログの言い方をすると、変かもしれませんが、実世界のほうでは、ペインティングとドローイングの対比に対して、

  • カービングとモデリング、技術の用語ですけども、そういった違いがあったりします。モデリングに相当するものと。デジアナで表を描くとこうなる。左下を造ったということなので、つまり、ただのテクノロジー上の発明じゃない。ジャンルを作るというアート、芸術上の発明の外れであるということで、原理的特許というふうに考えているというようなことで。なので、ここ3行目に描いてあるんですけど。特許あるいは画材を

  • 使ってやるものよりも、特許、あるいは画材のそれ自体の発明。こういった話こそが作品であると確信するに至ったということがありました。ようやく次の自分の話となるんですけれども、人工知能、どうして人工知能に突っ込んでいったか。その3Dの話についてはうだうだやってたんですが、

  • 自分の経歴の中で、人工知能は一般論的な関心はあったんですけど、特に突っ込んで関心を持っていたわけではなかったというか。門外漢ではあります。

  • 単に、知能について考えるとか、知能は定義できないとか、そういったようなことを考えることは、芸術の定義ができないまま芸術を知るみたいなことと関係あるので、好きだったわけですが、それ以上のものではなかったんですね。それが、ことしのイ・セドルのアルファ碁の事件があったんです

  • けど、そのときから、ここまできたんだということが、今、おもしろくなってしまいまし

  • た。ただ、そこで僕がすぐに気付いたのは真の人工知能は全然、実現してないということですね。評価主体は、人間知能を評価していると見ると、まだまだなところだと。なので、このまま諦めてもいいんですけど、今までは、これで諦めてたんですね、80年代、90年代は。しかし、逆に今、そこを基点として突っ込んでいけるんではないかと。例えば、AIが創作した芸術と現在、いわれているもの、AIが創作した芸術と、AIに

  • 著作権をみたいなことまで言われてますけども、例えば、美術だったら、Googleのディープドリームの作品です。これはこれで精神障害者が描いたような作品で非常にすばらしいんですが、慣れてくると、写真を入れるとこういうふうになってるんだな見たいな感じで、だんだん、見慣れてしまう。それから、音楽だと、ディープジャズ。これ、音楽の自動生成というのは昔からあるので一番うまくいってはいるんですが、どこから、自分で、どこから機械

  • が勝手に作っているのか。大体、機械は弾いているわけではなくて、これは、人間が自動プログラムで作ってるだけじゃないですか。それから、作家ですというプロジェクトがありますけども、この人工知能が小説を書くということで、これは、むしろやっている人、本人が、全然、まだまだで、8割、人の手ですみたいな言い方をしている。それは、自動翻訳が、全然うまくいってないっていうことからも全然、明らかだと思いますね。なので、全然、まだまだなんですが、

  • この間、10月20日に、第17回AI社会論研究会というところにお招きいただいて、そこでしゃべったことがありました。それを起点にしたいと思いますけれども、これはAIのAIによる芸術のための芸術ということばを出して、ちょっと考えてみたかった。何を考えてみたかったかと。AIが創作した芸術と現在言われているものは残念ながら人間がAIという道具を使って制作した代物でしかない。私が見たいのは、AIのAIによるAIのための

  • 芸術もさることながら、より以上に、AIのAIによるAIのための芸術以上の芸術であるというような話なんですね。これは私が人生のための芸術を糾弾し芸術のための芸術を本懐としていることに由来するということなんですが、この概要自体で、入れなくなる人がいるかなと。実現する可能性があれば、または学術として成り立つと思いますね。実現可能性がなければ、かわいいSFとか、おとぎ話だったら、まだいいんですけど、うざい、白痴の妄想に過ぎないというような白い目で見られるというようなも

  • のでありますね。芸術というのは、そもそもSF、おとぎ話のようなものであったり、あるいは先ほどのクールベのリアリズムの話がそうだったように現実とすごくリンクしてて、芸術はどちらでもあり、あるいは、どちらでもない。両方のところにあるわけですが、もうちょっと話を進めますね。実現可能性としましては、現行のAIは道具という認識は今言われている人工知能はまだ特化型であるということと対応してます。特化型というのは、ワープロに過ぎなくて、まだパソコンは出ていない。

  • あるいはカーナビはあるけれども、スマホでカーナビはまだできてないみたいな。スマホになっていれば、カーナビがいらなくなるという、そういうことですね。汎用性といいますけれども、じゃあ、汎用性があったり、自律性があったりすればこれは実現する可能性はあるのかというと、必要条件ではあろうけども十分条件ではない。あと、強いAIという言い方があ

  • りますね。意識を持ったAI、単純に言うと。意識を持ったAIを作ろうという試みも今、盛んに行われていますが、これも、恐らく、美意識に似たようなものが発生するかどうかみたいなことなので、必要条件なんだけど十分条件じゃない、なぜなら、美意識がある人間でも、芸術しない人間もいるから。非常に道が遠いんですけども、

  • あともう一つ、概要の実現可能性として、人工知能の用語でいうと、フレーム問題という用語がある。記号接地問題という用語があるんですが、フレーム問題という用語は枠を決めた中だと、人工知能は人間の知能以上に、多大な力を発揮する。しかし、枠を越えることができない。要するに枠を自分自身で設定できないということなんですね。ただ、これは人間にも言えて、特に芸術はどこまでが芸術でどこからが芸術でないかっていう

  • 、それ自体がどんどん更新され続けているわけなので、芸術自体がそもそもフレーム問題をあれこれしてるものなんですね。なので、逆に人工知能が実現できるかどうかではなくて、人工知能の抱えてる問題と、芸術が抱えてる問題は、パラレルに考えることができるというようなことです。何に価値があるのか。神様が保障してくれていた価値、王様が保障してくれていた価値、それらがなくなり、あとそれから、写真によって実用的価値を奪われてしまった。

  • それでも、まだ価値をどう設定すればいいのか。価値の話ですね、フレーム問題、あと芸術の問題。記号接地問題というのは、人間の芸術史…。記号接地問題というのは解決しなければいけない。機械翻訳というのは意味が分かって…。しかし、人間の芸術と全然関係ないところで、何らかの人工知能が芸術に似たような

  • 芸術のための芸術に似たようなものが完成したら、これは、解決しないでも済むかもしれない。それは人間から見ると、芸術とはつながらないものかもしれないん

  • ですけども、そういったものがあっても、おかしくないなどなど、コネクショニズムとシンボニズムという話しもあるんですが、これはボトムアップ的なやり方と、トップダウン的なやり方と、両方、人工知能の研究で必要であろうということです。ボトムアップ的なやり方が、アルファ碁意成功ですね。原子論的なやり方がでその世界観で僕のさっきの発明でいうと、ビットマップ的なものは、原子論的な、ボトムアップ的な方向性、それに対して、ビクター、イデア論的なやり方。これはどっちかというと機能計算から入っていく

  • やり方ですね。両方とも、どっちかだけじゃだめなので、非常にパラレルですね。以上、前置きとして芸術についてもう一回、考えてみると芸術は報酬がない。報酬がなくてもやる。これ、人工知能のほうで餌がどこにあるか。餌をあげるとその餌に向かって、動いていくっていうようなやり方で、人工知能を発達させるんですけど、餌がなくても動くようなシステムが作れないか。それに対して人生のための芸術。これは、餌があるということです

  • ね。快楽や感覚が餌だったり、あるいは実用性が餌だったり、人生というものを豊かにする。人生が餌である。それのための芸術という考え方でこの2つのことばは、もともとあるものなんですね。ただ、感覚が快楽と捕らえる立場だと、芸術のための芸術が快楽至上主義になったりする。反対に感覚は芸術ではないと考える立場としては、コンセプチュアルアートとか、反芸術などがあり、私自身はそち

  • らのほうが重要だと思ってますね。芸術のための芸術と人生のための芸術の区別は実は無理だろうという言い方もあります。厳密ではない。なぜなら芸術のための芸術を追求すること自体が、人生を美しくするのだからと、いくらでもメタ的なことはいえるんですね。近年では社会のため芸術といえる

  • ものも多かったりするんですけれども、それは人生のための芸術の一翼であると。結局、実用と無関係のことは言いましたし感覚と無関係というようなジャンルもあるということで、ちょっと見ていきたいんですけど、感覚と無関係で結局、自律性、自己研究、自己批判をしていくもので、これはカントやデカルトが哲学において、自己批判から出発して、哲学を作り上げていったのとすごく似ているわけですね。

  • なので、反芸術、芸術が芸術を否定することによって、成り立た

  • せることが、実は本丸だったりする、芸術の中で。松澤ゆたか@という美術家、概念芸術をした人、芸術宣言というものを出していて、これは人間の感覚に直接、訴えることはできない。直接、見たり、直接触れたりすることはできない。この芸術は人間、判断、推理、関連構成などによっての把握、認知しうる。努力、知力にある特殊化であると書いてありますが、こういったことを考える人は、人間の知能の中にも表れている。あるいは、ジョセフ・コスースという人。

  • これは芸術は芸術の定義のことであるという自己研究的なことですけども、こういった作品があって、デュシャンですけど、デュシャンのレディメード@、すでに、ただのなんの創作もないただの便器を持ってきたんですね。こういったような系統があったりとかしてます。ここのところと関連していくんではないかと。そういうことを考えるヒントに非常になりますので、それで人工知能についてちょっと、美学、芸術とつなげて

  • 考えようということで、ことしの4月25日に人工知能美学芸術宣言というのをこれ、ウェブサイトの中の一部なんですけれども、人間が、人工知能を使って作る芸術のことではないというのが1行目。2行目は人工知能がみずから行う、美学と芸術のことであると。この時点で入れる人とは入れない人がいるんですが、こういったようなことを考えるこ

  • とによって、人間の今までの哲学、美学、あるいは芸術を再考していくことができるというようなことで宣言を出しました。その宣言の1週間後、人工知能美学芸術研究会というものを5月1日に発起しまして、29名集まりまし

  • て発起しました。きょう、お配りしてあるものの、

  • 一番上のページですが、ホームページの一番上のところです。すでに3回の研究会を開催しております。漫画家のまつだたくや@先生とかだったりしますけどね、この前行われたのは、さいとうたまき@さん、精神科医の人が一番右のほうに見えていたりとか。こういった研究会を行ったりしています。第4回は

  • 再来月、12月10日の土曜日に青山ブックセンターとの共催で行う予定です。やっと本題なんですけど、2017年5月から11月にかけて、軽井沢ニューアートミュージアムにて人工知能美学芸術展というものをやります。これは、挟んであるものの2枚目以降なんですけど、右下にあるのが軽井沢ニューアートミュージアムで、

  • 写真で、とても、大きなすばらしい美術館で、きょう、館長さんの方、主任学芸員の方が一緒に来ていただいております。そこで、どういったことでやるかというと、AI美芸研としてのアジェンダがありまして、どういったことを目指すか。従来行われているのか。人間の美学に基づく、人間の芸術であったと。それに対して、機械的な美学に基づいて人間が行う芸術というのは例えば、単に数を数えるだけで、おもしろがっているような現代アートが20世紀に出てきてるんですけど

  • 、そういったものとかは、Bのところに入るかもしれない。あと、それから、Cのところ、人間美学に基づく機械芸術。これは、先ほど言った、人工知能が作った芸術とかですね。Dのところ、機械美学による、機械芸術というのはまだ実現していないのが、われわれが目指すものであるということで、これを展覧会の展示コンセプトに据えて、ABCDの部屋を作って展示していこうというふうに考えております。Aのところは今いったように、ルネサンス以降の、ミケランジェロとかを持ってこれるといいです

  • ね。Bのところは恐縮ですが、ここでもう一回、自己紹介的に私の作品も左側の5の作品は、積@という状態。碁というのは点を連ねて線になるというもので、ちょうど引き分けでこれ以上、打ったほうが負けてしまうという状態を作り出して、点が線になったら勝ちで、あるいは相手が線になるのを阻止するのが目的だったりするんだけど、ちょうど引き分けでこうなった場合どうなのか。これは点と線のちょうど、中間の状態が見えているみたいな、そういったようなことをおもしろがっておりました。

  • あと、右側のは、小さいですけれども、JISコード表から漢字を規則的に引っ張ってきて画素として並べて作ってる作品だったりとかしました。C、人間美学、人間の美学に基づいて、機械に芸術させたというものですね。これは昨今の人工知能が創作した芸術と呼ばれるようなものであるけど。これも2017年、来年の一年の成果物として、きちんと展示しようと考えております。これら全体は美術だけではなくて音楽、それから文学について、あるいは研究発表などについても、広くちょっと扱っていければなというふうに思っております。

  • この問題は、Dですね。何もない状態ですが、われわれが目指すものであるというところなんですが、このDをどうするかというようなことを考えながら、しかし、ここに向かって、展覧会をやっていこうというふうに今、考えていると

  • ころでございまして。そのためには、例えば、ある音楽作品で人が、輪になって、大勢の人間が輪になって、一定の規則によって演奏するものがあるんですが、それをペッパー君にやらせないと

  • 思うと、そうすると大勢のペッパー君が必要だったりしますが、大勢のペッパー君が、ペッパー君は今、ビジネスにのってしまって、なかなかAIの美術展といっても貸してくれない…。AI美学芸術コンサートも開催す

  • るんですけど、自動ピアノを引っ張り出してきたりとか考えているんですけれども、主菜の美術館が、あんまり音楽のほうにお金が出ないかもしれないので、助成金、申請しなきゃとそれだけではなくて、協賛企業の方がいらっしゃればぜひ、募集中でございます。なんにしろ中ザワ株は買いでございます。きょうは、ご静聴どうもありがとうございました。