• 【東】ありがとうございます。村木さん、残念がっていました。いきたかったというふうに。今一度、ライブ配信されていますのでたくさんの拍手をお願いいたします。とても力強い優しいメッセージをいただきました。続きましては、基調講演です。この方の講演なしではこのフォーラムは実現できなかったと思います。きっと、この方の声を聞きたいと

  • いうことで遠くから足を運んでくださった方もいらっしゃるんだと思います。甲南大学文学部准教授服部正さんです。アウトサイダー・アートやアール・ブリュットなど、そう呼ばれる、独学で学ぶアート活動をする芸術家や障害者の捜索活動などについて深く研究をされています。たくさんの拍手でお迎えください。服部正さんです。よろしくお願いいたします。

  • 皆さん、こんにちは。このような機会を与えていただきありがとうございます。この場所に座りながら、やや不思議な気分になっています。というのも、このお話は、あとでご登壇される今中さんからお誘いいただいたもので、そのときの話では障害のある人の創作活動を社会的にどう理解するかということについて小規模な

  • 勉強会を立ち上げたいと。なのでそこで話をしていただきたいということだったので6人ぐらいの方の前で話をするのかなと思っていたんですね。そうすると、なんと600人。100倍の数の方の前で話をするということでとても不思議な気持ちで今ここに座ってるんですけれどもそれだけ、この分野についての関心が高いということじゃないかなと思います。最初に竹村さんもお話されたようにこのような大規模な催しは多くの方で問題意識を共有するという意味では、とても有意義でしかも社会的なインパクトも大きいと思うんですね。ただ、一方で深く立ち入って物事

  • の本質を突き詰めていくといううえではなかなか難しいところもあって、どうしても参加者の方の興味の方向性とか、あるいは専門的な知識とか、あるいは、社会的背景とかいろいろなものが本当にさまざまなので、その中で基調講演をするというのは、どういう話をすればいいのか迷ったんですが今後の議論につながるような、このあとの議論につながるような

  • 比較的対極的な見地から、ちょっぴり辛口な話もしたいと思います。恐らく、それはあまり耳あたりのよい話ではないかもしれないですけれども批評精神とか反省がないというところには発展もないと思いますので、お付き合いいただけたらと思います。障害のある人の捜索活動について関係者の方とお話をしていると2020年ということが、とてもよく出てきます。

  •  この年は、もちろん言うまでもなく東京オリンピック・パラリンピックが開催される年なんですね。厚生労働省のホームページを見てみましてもウェブサイトを見てみても2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けた障害者の芸術文化振興に関する懇談会というものが

  • あったり、ここにも関係者の方も多いと思います。今年度から始まった障害者支援普及活動の事業では、公募要綱の実施上の留意点という中に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の文化プログラムについてという項目があってこの事業で実施するイベントについては当該大会、オリンピック・パラリンピックですね。文化プログラムとして位置づけられると。そして、そのオリンピック・パラリンピックの機運醸成、盛り上げの一助になるように

  • 努めることと、わざわざ募集要項に注意書きがついているということがあります。この国の障害のある方の創作活動の推進の1つのピークとして2020年という、東京オリンピック・パラリンピックが意識されるということはとても明確です。ただ、この場には、そのことに関わっておられる方もとても多いと思うので何をいまさら当たり前のことをと思っていらっしゃる方も多いと思うんですが、福祉業界に関わってる方の中でも

  • それから、更に例えば大学とか美術館で美術館系、芸術関係、人文系のことに関わっていらっしゃる方でこの事業を知らないという方は圧倒的大多数だと思います。ですが、その方々に届いてこそ意味のある事業だと思うんですね。そういうことに関連して、まずは、ここからさかのぼって前回の東京オリンピックの話をしてみたいと思います。前回の東京オリンピックは53年前、1964年のことです。

  • この会場を見渡しても、それを覚えているという方は半分もいないというか3分の1もおられないんじゃないかと思います。もちろん私も実際にはわかりません。このときからすでにパラリンピックというものは行われていました。当時は、まだ愛称で正式名称となるのは1988年のソウル大会からなんですけれども当時の新聞記事を持ってきてみたんですけれども

  • 一方では、忘れられたパラリンピック。資金にも事欠く冷たい世間とかそういうふうに、あまり予算不足とか無関心というものを批判する記事が出ていたり、その一方で、1面にパラリンピック開くという形でこのような記事も出ているというふうなことです。パラリンピックというのはもととも、パラプレシアという下半身麻痺の方のパラプレシアとオリンピックの合成語で

  • 歴史的にはイギリスの病院で車椅子の方々の競技として始まったものです。ですので当時、東京オリンピックのときにはパラリンピックは基本的には車いすの方の競技会として行われていました。その当時の新聞とか、いろいろ見てみたんですが車椅子の方の社会参加のためのインフラ整備が遅れてるねとか就職先が不足しているねみたいな話は出てくるんですが、芸術文化との

  • 関連付けた書いたような記事というのは、ほとんど見当たりませんでした。そのような障害のある方の芸術文化活動というのがほぼ、注目されていない時代、64年のオリンピックにおいてパラリンピックではなくてオリンピックに関連して芸術文化面でとても活躍した知的な障害のある方がいました。かの有名な山下清です。

  • かの有名なといっても有名と思ってる方は40代以上の方で学生に聞くと半分以上知らないというのでそれにも非常に時代を感じるんですが昭和の時代に大いに人気を博した貼り絵画家。彼のことはとても有名でここにおられる方の多くの方は知っておられると思うんですけどオリンピックとの関係はあまり知られていないかなと思います。というより彼の活動は価値づけて行われてこなかったものですが1963年11月から64年9月。9月から10月にかけてスポーツニッポンで30回の連載

  • 記事を彼は書いています。「ホントにみんな来るんだナ 山下清のオリンピック・スケッチ」というタイトルなんですが、その中で、オリンピックの準備の進み具合とかそういうものを山下清の風景画のスケッチとエッセーという形でレポートしていくという、彼の得意としたご当地日記のようなものです。山下清という人は本当、超高感度センサーを持っているような人でオリンピックと高度経済成長の光と闇というのをすごく見事に捉えるんです。

  • 例えば首都高速について書いたところだと東京中を堀り散らかしてしまったとかまるでよその国に行ったように立派になっているというようなことを書いています。これは、経済成長の華やかさと同時に古い日本の景観が失われていくということも

  • きっちり、捉えているなということが、短い文章の中からわかります。これと関連して、ちょうど同じ時期に彼が取り組んでいた東海道五十三次のシリーズがあるんですが、このシリーズも似たような形のものなんですが富士吉原。吉原は今、富士市になっていますけどその辺りですね。そこについての文章です。ここの富士山が一番でっかく見えるな、でっかくて立派だけど道を走るダンプが怖くてゆっくり見てられないな、ここ変なにおいがするところだけど新幹線の窓越しに見ればにおいはしないな。だけど新幹線はいい景色だからといってゆっくり走ってくれないなと書いています。

  • 吉原市とか富士市というのは製糸工場によるヘドロの悪臭が非常にひどくて、昭和40年代には深刻な公害として社会問題になっていました。それを彼は非常に的確に敏感に捉えていることがわかります。1964年東京オリンピックというのは高度経済成長の成功体験として今、日本ではとてもノスタルジックに憧れを持って語られることが多いです。そして、その再現が2020年の東京にも期待されているというのが今の社会構造だと思うんですね。

  • ところが、オリンピックの光に伴う闇、影の部分を冷静に見つめておく必要というのは、きっとあると思うんですね。64年、高度経済成長、オリンピックのときの。深刻な公害問題とか交通問題をもたらしましたし大規模な環境や景観の破壊ももたらしました。それから交通の高速化というのはライフスタイルを一変させていくことになって

  • 更に、その当時の国債の発行ということから赤字財政が始まったのもこの時期です。山下清というのは、その闇を情報を集めてというよりはなんかセンサーを持って見事に捉えている。芸術文化の役割ってそういうところがあって光のあたる場所と表裏一体の闇を明らかにすること。そして、それを説得力を持って人に伝えていくことだと思うんですね。それを成し遂げているという意味では山下清は

  • やっぱり一流のプロのアーティストだったんだなと思います。その山下清をきっかけに山下清と障害のある人の芸術ということをちょっと考えていきたいと思います。山下清は、今回の障害者芸術支援というこの大きな題目の中で支援すべき対象だったんでしょうか。そもそも山下清の作品を障害者の芸術と呼ぶことは適切なんでしょうか?

  • あるいは、彼のことをアール・ブリュットと呼ぶべきなのでしょうか。これについて考えることは、この国における障害のある人の創作活動をめぐる言葉の混乱について考えることにもつながりかつ障害者芸術文化支援という取り組みが内包するある種のバイアスについても考えることになるのではないかと思います。答えを先取りするようなことを先にお伝えするとすれば

  • アール・ブリュットという言葉を正しい意味で理解した場合に山下清の作品はアール・ブリュットではないと思います。ところが、それは山下清の作品の価値が低いというのでは全くないんですね。それどころか、山下清の貼り絵は超絶技巧で他に類を見ない独創性を持っています。にもかかわらず、彼の作品がアール・ブリュットと呼ばれることはありませんし一方で、現代美術と呼ばれることもありません。それは一体なんなんでしょうか。

  • まずそれを、彼がどのようにして絵を描き、貼りですけども、どのようにして有名になっていったかというところから考えたいと思います。山下清という人は1922年大正11年に東京で生まれました。小学校6年生のときに知的な障害があるということで千葉県市川市の八幡学園に入所します。八幡学園というところは社会活動家の久保寺保久、親はどう思ってつけたかわからないんですが

  • 前から読んでも後ろから読んでも久保寺保久が創設した私立の障害者養護施設です。当時、こうてきな施設というものは1つもなくて私立というのは全国に十数か所あるというだけでした。学園では、貼り絵の活動というのを行っていたんですけれどもその中で、山下清は特別な才能を示しました。絵をちぎって何かに貼る。

  • 画用紙に貼っていくというようなときには例えば木だったら木の形をちぎるとか家の形をちぎるというのが普通だったんですが、それだとうまく器用にできない子がいた中で細い紐のようなものを色紙で切ってそれを小さく切りながら張っていくちぎり絵の技法を使えば間違ったところの上に貼っていけばちょうど、絵の具を置いていくような感じで絵ができていくという感じで

  • それが、手の訓練と情緒を育てるという意味で使われていた。そういう目的の貼り絵でした。ところが彼はほかの園児たちよりも圧倒的に細かく描写力に富んだものを作っていきます。年表に戻るとそれは、早稲田大学の心理学教室で研究をしていた戸川行男という先生に見出されます。もともと彼も素敵な生涯のある方の心理状態について調べたいというところから特殊な技能を持っている日とということで注目をしたようなんですけどどんどん作品に引かれていくわけなんですね。

  • その戸川行男とそれから八幡学園園長の久保寺保久が共同でプロモーションしながら全国各地で展覧会をしていきます。クライマックスは銀座の大手の画廊で行われた特異児童展覧会それに合わせて出版された雑誌があったんですけど

  • 雑誌の会社から出版された作品集でした。展覧会は5日間で2万人が来て画集も何版も版を重ねました。そのときに園長の久保寺保久は、どんな目的を持っていたかというと基本的には、障害のある方の福祉の向上ということを目指していました。もっと具体的にいうと彼は精神薄弱児保護法という法律を作ろうとしていました。当時まだそのような形で障害のある子どもさんを保護するような法律は

  • なかったんですね。それをなんとか作っていきたいと考えていました。この時期のこういう活動については時代背景に落とし込んで考える必要があってちょうど、山下が活動していた華やかにプロモーションされていった時代というのは37年が日中戦争の開戦。38年3月には国家総動員法

  • そして40年10月には大政翼賛会の結成。ちなみに1940年は最初にオリンピックが開催される予定だった年です。日中戦争の激化で2年前の1938年に東京はオリンピックを返上しています。翌年には太平洋戦争が開戦されるとそういう時代でした。ちなみに「産めよ増やせよ」という厚生省の標語が出るのが1938年。その中で、

  • 戦争に向かう日本の中で人的支援という言葉が当時よく使われたんですけれど戦争にいける人、働ける人を少しでも増やしたいというそういうふうな、時代の風潮がありました。久保寺がそのときに発言していることなんですけど難しい文章を早口で読むのでわかりにくいかもしれません。

  • 今日正常下、軽度の精神欠陥児はもとより精神薄弱児もまた十分に療護、共同されて国防力、産業力に参加し寄与貢献する人的資源として国家的考慮を要するものをしえんするとか、人権問題がやかましいときそういう役に立たないものが何かお役に立てたいというのが我々の念願であり

  • また、彼はさほど捨てたものではないので、急がず足すに時を持ってするならば、かっらもみな何かの役に立つようになる彼らも皆、何かの役に立つようになるという発言があります。つまり障害のある園児が学園の教育によって成長する。特に手先の仕事においては健常者に勝るとも劣らないということを彼は貼り絵を通じて示そうとする。そのことによって障害のある方も十分に国家として擁護、保護する必要があるんだということを訴える。この戦争という人的資源の拡充という流れを

  • 利用しながら、障害児の保護ということを法律化しようとしていたわけなんですね。そう考えると、山下清の絵画はそのような社会運動の広告塔でもあり少なくとも久保寺にとっては純粋に彼らの表現を楽しむという種類のものではなかったんですね。であれば、山下清の作品というのは自由奔放な独創というものでは都合が悪かったわけです。そういうものではなくてオーソドックスな普通の意味での芸術という

  • 教育を受けたものであり、かつ訓練されることで成長していくというようなものでなければいけない。いわば陳腐な美術教育を受けてはいけないというものだったんですね。そのようなことで、彼の絵はどんどん教育を受けながら成長していきます。成長していくというのはおかしいですけれども展開していきます。実際に山下清の日記を見てみるととても面白いんですけどこのような絵について貼り絵で教

  • えてもらったのは雲の出し方で教えてもらう前、簡単な陰の雲でした。島津先生が見て雲の周りの細長いところや影の出し方を教えてくれました。景色の貼り絵のとき、近くにあるものと遠くにある色と同じにして遠くになれば木の色や何かをボーっとして色が変わっているから木の枝は、瑠璃色にしなさいといいました。自由奔放というよりはかなり教育がされてこう描くんだということがいわれています。

  • 花や何かのバックの色は久保寺先生に色を教えてもらいました。菊の貼り絵のとき葉っぱや何かはこよりを使ってやりなさいといわれたり、植木鉢の影はどうもおかしいな。ちっとも影が足りない。もう少し影を入れなさいといわれた。影の出し方が下手で真ん中からだんだん影が強くなるように教えてもらった。影の出し方は何回も何回もやり直しさせられてしまいには、よくできましたとい

  • うふうに実際、植木鉢の影も執拗なぐらい右側が黒くなっているわけなんですけどこのような教育を受ける。そのことによって健常な人が作るアートに近づいていくというところを見せなければいけなかったという事情がありました。一方で、いわば健常アートが皮肉っぽい言い方ですけど専門家からは山下清に対して強い拒絶反応が示されます。例えば、谷川徹三。哲学者で法政大学総長までやった方ですが

  • 谷川俊太郎のお父さんといったほうが通りが早いかもしれません。全体として、つまり何か健康でないものがある。何か深いものとか強いものとか、つまり奥に引っ込んでいくものがそういうものがあの子の絵にはないとか私はこの4年間に4度見ましたがだんだん、空虚を感じてきました。本当の絵だったら繰り返し見れば見るほど好きになりますねということを言ったりあるいは、文芸評論家として非常に有名な小林秀雄が、痛烈に批判をしたりします。

  • 本筋の絵の美しさというものは幾度でも見てほしい。そのつどいろいろなことを語ろうといいかけてくるような性質のものだと僕は考えているが清君の絵の美しさには向こうから語りかけてくるようなものはまるでない。その明るさは何1つ秘めていないとか。清君の天賦の才は疑い余地もないがこの絵には痴愚という

  • 痛ましい犠牲が貼られていることも疑えないことだ。清君の絵に感じられる意味というものの空虚はここからくるのだろうとか。さらに松本という夭折の画家がいますがゴッホの作品にはヒューマンの愛情が満ちているのに対して反して、清少年の作品は恐ろしいほど人間的に空虚だとひどい批判をしているわけなんです。

  • ここには障害のある方に対する差別的な認識はもちろん、たっぷり含まれていますが同時に、展覧会が、ある種の社会運動であって美術作品そのものの質を問うようなものではなかったとか1人の障害のある作り手しかも当時少年が、その運動に利用されているということに対する嫌悪感というものが含まれていました。それは、戦後も同じことで更に大げさに行われるようになります。

  • 戦後は、式場隆三郎という医療系文化人というか精神科医で文筆家だった人ですけど日本のゴッホと呼ぼうとしたり放浪の画家として売り出したり、陶芸をやらせたり、いろいろなことをやらせていずれも普通のアートに近づけようということを目指していました。そして、戦前以上にそのことは美術業界から批判を受けるようになります。時間もあまりなさそうなのでこの辺は飛ばしますが嘉門安雄さんという美術評論家で長く長く美術業界の

  • トップに君臨してブリヂストン美術館の館長も務められた方ですが彼は、山下清を日本のゴッホなどということはゴッホの人間性と芸術に許しがたい冒涜であるということをいっていたり荒正人という文芸評論家が山下清よどこへ行く清君、あなたの役目は終わったみたいなことを書いて

  • それを、山下清がプロモーションされていく状況に対して批判的な考えを持っていて、それを表明したというわけです。ところが、こうして、いわば、関係者のほうはこれが普通の美術だというふうに主張しようとしたわけですけどそれに対して美術業界からは完全に絶縁されていくという構図がそこで起こっていました。ところが、ここにある種の大逆転みたいなものが起こって、山下清は美術界からは切り離されているんですが、その

  • 一方で芸能界とか大衆社会の中では大成功を収めていきます。日本の風物を味わい深く描くいわばイラストレーター、軽妙なエッセイストみたいな形で純粋芸術の世界からは切り離されながらも大活躍をしていく。その大活躍の先にオリンピックや「東海道五十三次」みたいなシリーズがあったようです。

  • では、このように山下清が成功していくわけですが山下清は障害者のアートというものではない道目指して、実際に彼の作品が障害者芸術文化支援という枠組みで、語られることというのはほとんどありません。彼自身は経済的に完全に自立していましたし、一軒家を建てて、お母さんと弟家族を養っていたわけなんです。ここで、ちょっと考えてみたいのは山下清を私たちはどう考えるべきなのかということです。

  • 山下清は、確かに知的な障害があったわけで障害者芸術支援というようなことを掲げるとすれば、その成功例なのか。完璧なる成功例なのか。それをもし私たちが、そう思えないのだとすればそこでの問題というのは一体なんなのか。もし、成功例ならば、今の政策として取り組まれていることは第2、第3の山下清を生むような活動なのか。どうも、そうでもなさそうな気がするということなんですね。そこで、考えてみたいのは、

  • 今の芸術支援政策というものについて考えてみたいのが、アール・ブリュットという言葉なんですね。この言葉は、日本では、障害者の創作活動の代名詞のように使われていることが多いわけですね。福祉事業所の中では利用者の作品展の中にアール・ブリュット展というような名前をつけることが多いです。ここにおられる方の多くの方とかはそれがもともとフランス語における

  • アール・ブリュットとか、現在、欧米で用いられているアール・ブリュットが指すものと大きく乖離しているということはご存じの方も多いと思います。なので、そのことを今日はここであまり説明をしないですし、あとで、エドワード ゴメズさんもそのことについては説明していただけると思うのですが要点だけ述べておくと、アール・ブリュットというのを発案したのはフランス人の画家、ジャン・デュビュッフェという人が

  • 戦後すぐに作ったもので精神疾患の患者さんの作品の中から独創的で面白いものを選んで、それが通常の美術と異なるものだということで選び出したというのがアール・ブリュットです。つまり、精神疾患の患者の作品全てがアール・ブリュットではなくて、その中から、いくつかのものを選び出したのがアール・ブリュットなわけですね。最初にアール・ブリュットという言葉を思いついたのは1945年のスイス旅行のときですが

  • スイスのヴァルダウ精神科病院というところで精神疾患のある方が描いた膨大なコレクションを見て戦前のものですけど、その中から作品を引っ張り出してこれはすごいというふうにして引っ張り出す。もう1~2名引っ張り出すんですがその一方で、その他の大量の作家たちには、なんの関心も示していない。普通の美術と見えるものにはほとんど関心を示さない。

  • 同時に見たはずなんですけどそれはアール・ブリュットと呼ぶことはなかったわけなんですね。そのように、精神疾患の患者さんの作品の中から特に彼自身が独創的で面白い。しかも普通の美術と違う、オリジナルだと思ったものを引っ張り出したものがアール・ブリュットだったんです。更に彼はその後、精神疾患の方というところから射程を広げて、それ以外の作家たち作り手たちを探していきます。実際に作り手たちの約半分はいわゆる障害者ではない人たちです。

  • 例えば、独居とは限りませんけど高齢者の方だったりとか民間の宗教家の方だったり、占い師、交霊術師とかヒッピーの方とかそういうふうなさまざまな障害者といわれてない方の作品もピックアップしていきます。そこでは、彼が考えていたことというのは通常の美術界とは無縁の人たち、現代の芸術表現について知識の乏しい人たち。

  • あるいは、そこから意図的に距離を置いている人たちの創造物。そういうものをアール・ブリュットと彼は呼んだわけです。このような形で彼は、自分が通常の美術と違う形で拾い集めてアール・ブリュットと呼んでいったわけでだからこそ、それが英訳されるときに英訳者は、直訳のローアートという言葉ではなくて

  • 直訳のアートじゃなくてアウトサイダー・アート。意味を考えたうえでは、アウトサイダー・アートのほうがしっくりくるということでアウトサイダー・アートという英訳をしたわけです。ただ、言葉は村木さんも言っておられたように一人歩きをするのでアウトサイダー・アートというのは、とても言葉としてわかりやすいのでもともとは訳語として考えたんですが、その後、より社会との関係性で社会の周辺にいる人とか、そういうマジョリティーに対する

  • マイノリティーとか、そういうふうな関係性でやや実際デュビュッフェが考えたアール・ブリュットとは違う概念として成長していくのがアウトサイダー・アートですね。そう考えると、山下清というのはアール・ブリュットではないわけです。普通の美術を目指そうとそもそもしていましたし普通の美術の技法を学んだ上でそれを実現しようとしていた人ですから。ですが一方でぎりぎりアウトサイダー・アートかもしれない。それは美術の世界、通常の美術界からは完全に相手にされなかった、あるいは切り離されていったということで

  • アウトサイドにいたということは間違いないという感じですかね。ようやく本題に入っていくという感じなんですが日本のことを考えてみたいんですが日本の現在の障害のある方のアートというものは実際、さっきも言ったようにデュビュッフェのアール・ブリュットからは乖離して、曲解されたものではあるんですが一方で、アール・ブリュットの強い影響下にあることは確かです。障害のある人の創作活動というものが推進されていくことの大きなきっかけになったのは

  • 1995年に奈良の財団法人たんぽぽの家が始めたエイブル・アートの運動でした。そのときに、個別で各地でとり行われていた、取り組まれていたアート活動、福祉施設でのアート活動というものが線でつながりそれに刺激を受けて新たに活動を始める施設もたくさん出てきました。そのようなことでたくさん、障害のある方のアート活動に注目が集まるようになり始めました。エイブル・アート自体はアートによる社会福祉運動という

  • 側面が非常に強い運動なんですけれどもそれでも、次の点でアール・ブリュット的な美学をある程度は継承していたと思います。1つは、障害のある人が作る作品というものには人を感動させるすばらしいものがあるという考え方。それは障害のある人が作るもの全部ではなくて障害のある人の中にはそういう作品を作る人がいるということですね。

  • それはある種のクオリティーの重視、作品の質の重視というのが含まれていたということです。もう一方で、訓練を重ねて健常者と同じようなものを作れるということは目指していない。障害のある方の個性が生き生きと表現されたものがすばらしいというようなことです。それは、ある種のオリジナリティーの尊重だと思います。この辺がいわばさっき長々と例で挙げた山下清と随分違うところです。山下清の場合には訓練を重ねて健常者と同じようなものを作るということが目指されていたわけです。それは

  • 、その当時の社会状況の落とし込んでみると当然、そうせざるを得ない状況が学園の側にあったわけですよね。それに対して、今、行われている活動というのはクオリティーの重視とオリジナリティーの尊重というものが強く含まれていて、それは私自身も含めて、障害のある方のアート活動に関わり、それを展覧会にしていく

  • という仕事をしていた人たちが継承していった1つの方向性だと思います。アウトサイダー・アート、アール・ブリュットというもともと存在する概念。障害のある人の捜索活動を理解しようとするならばそうなることは必然的ではあったと思うんですね。かつ、美術業界の人間が美術作品を評価する以上、クオリティーの重視とかオリジナリティーの尊重というのは当然のことなんですね。

  • しかも、それは、アウトサイダー・アート、アール・ブリュットというものが1つの美術における一領域としてすでに確立されている。専門のコレクターがいたり画廊や美術館のあるような欧米での評価を求めていくうえでとても有効だと。かつ欧米のアート界での評価があるということは日本のアート界に入り込んでいけるという意味でも、日本の美術の領域に持ち込むという意味でも有効な戦略だったと思います。

  • そして、その方向性というものが障害者の創作というよりも、障害者の創作物のうちで欧米の価値基準に合致した、ごく一部の作品を特別なものとして、障害者の創作活動の相対から切り離していくということを起こしてしまったのではないかなと思います。独創的でクオリティーの高いものが、いわば別の名前で切り分けられていくということがそこで起こったんじゃないかと思います。しかし、今の時点で

  • 振り返って考えてみると恐らく、そういうふうにすることは障害者の芸術文化支援の最終目的ではないはずなんですね。特に、福祉的な問題として考えれば、それは明らかにそうなわけですよね。そのことというのは、その当時には気づかなくて切り離しがある程度、進んだ時点で初めて意識されたことなのではないかなと思います。改めて、障害のある方の創作をその作品のクオリティーやオリジナリティーに関係なく、つまり他者としてみるという立場ではなくて当事者の側、作る側から

  • 考え直さなければいけないねということが生じたとき意識されるようになったときに、そのままアウトサイダー・アート、アール・ブリュットという言葉を使い続けてしまったことでずれが生じてしまったのではないかなと思います。これ以上、この方向性が増幅するのはおかしいなと思い始めた、明るみになり始めたときに

  • インクルーシヴ・アートとか何か別の言葉をつくろうということではなくてアール・ブリュットという概念を持ち込んだことあるいはアウトサイダー・アートという概念を持ち込んだときですが1945年にできた言葉をそのまま使い続けてしまったということに今のややねじれた状況が生じたのではないかと思います。ただ、アール・ブリュットという言葉には意味がないかというと、決してそうではないと思います。そのことを、ここからは現代美術との関係でちょっと考えてみたいと思うんですね。

  • アール・ブリュットっていうものは、本来、障害の有無にかかわらず同時代の普通のアートとは全然違ってかつ、とびきり優れたアートを称賛する概念としてデュビュッフェは考えていました。では、そのときに対比される同時代のアート、現代のアートとは今、45年の時点とは随分変わっていて今、どうなっているんだろうかという視点から考えてみたいと思います。美術業界の方も、かなりここにはおられると思うんですけれども

  • その方々にとっては当たり前のことなんですけれども今年は現代美術の超当たり年なんですね。2017年はヴェネチア・ビエンナーレというイタリアで2年に1回行われる現代アートの祭典とドイツのカッセルで行われている5年に1回の大きな現代アートの祭典と

  • ドイツのミュンスターで行われる10年ごとのアートの祭典。これが全部重なる年。なので、現代アートにかかわる人はこぞってヨーロッパに行ってはしごして回るという年なんですけど私は、ベネチアは今年行けなかったんですけど私は駆け足でドクメンタとミュンスターだけ見てきたんですが

  • ドクメンタの評判をよく聞きますのでちょっとだけしてみたいと思います。今年の第4回ドクメンタは「アテネに学ぶ」というメインタイトルで本拠地のカッセルのほかにギリシャのアテネをサテライト会場として、開催されました。メインのイメージはカッセルの中心地にあります 作家名とか挙げていくと煩瑣になるので画面で見てください。また、ドクメンタはとても立派な英語のウェブサイトがあるのでそこで確認していただいても大丈夫だと思います。この作品は遠くで見るとよくわからないかもしれませんが

  • これは全て発禁処分になった、発行禁止になった本を集めて、それで作られた神殿です。この広場というのはナチスによって書物を焼く行為が行われた場所でその当時、反ドイツ的と見られた書物が集められて、その場で焼かれた場所なんです。その場所に発禁処分になった本で神殿を造るということは言論の自由とか弾圧の歴史というものについて考える場として

  • ここを機能させようということが表れているんだと思います。「アテネに学ぶ」ということですが、ギリシャは言うまでもなく西洋文明の原点で古典古代ですよね、美術、文学、演劇あらゆるものについてギリシャというものは古典古代というものは参照される。ルネサンス、言うまでもないですし

  • 18世紀の新古典主義とかピカソの古典回帰とか、さまざまな形で芸術の規範として振り返られる場所です。だからこそ、そういう歴史を考える場所だからこそナチスをはじめとするドイツの負の歴史にもきちんと向き合おうという空気がとても色濃く漂う展覧会になっていました。と同時に、2017年という時点でドイツがギリシャをテーマにするということには現代社会の課題について考えるべき問題がいろいろと含まれています。ギリシャは2010年から債務不履行に陥る寸前の経済危機

  • になったということは皆さんもよく覚えておられると思いますけれどそのときに一番支援したのはドイツなんですがドイツはユーロの暴落を防ぐために支援したわけですが、そもそもはギリシャの経済危機の出発点はEUに加盟するための粉飾決済というものが出発点だったんです。そういうことはある種、EUの中での大国と小国の関係性。大国が小国に無理を強いているという関係性があったということですね。

  • 更に、もう1つは難民問題ですね。難民問題についても中東の難民紛争、大量の難民がヨーロッパに入ってきたときにEUは人道的支援を全面的に押し出して特にドイツが、全面的にそれを受け入れるというような方針を立てた。ですが、実際に難民が大量に押し寄せるのは玄関口となったギリシャであり旧東欧諸国だったわけです。そこにもヨーロッパ中心の大国が周辺の小国に無理を強いているという力関係みたいなものが

  • 圧迫しているというかそういう構図がある。そういう問題を考えるということが、今回のドクメンタの大きなテーマだったわけです。そういうふうな構想から、現代社会の問題とかドイツの府の歴史に向き合うという作品が多く展示されていました。具体的な作品の説明をする時間はあまりないかなと思うんですけど例えば、ナチスの略奪品をテーマとした作品とか列強の大美術館にある古代彫刻をモチーフにした作品ですとか

  • それから難民問題、中東問題をテーマにした作品とかあるいは、グローバリゼーションと格差社会をテーマにした作品とか、あるいはマイノリティーへの抑圧をテーマにした作品とか、とても多く見られる展覧会でした。具体的な作品についての言及は避けますが、これについてだけお話しておきましょうか。これは、街の真ん中の広場に建てられたオベリスクですが、オベリスク自

  • 体がヨーロッパの列強の植民地支配というものを象徴的にあらわすものですけど、それを建てた作家がいて、その作家は、このモニュメントに、私はよそ者だった。でもあなたたちは受け入れてくれたというふうな碑文を書き入れたりそういうふうに、これもまさに難民問題に関わる作品ですよね。そういうふうなものが、いろいろと展示されています。

  • 具体的な作品の説明をしている時間はないようなのでちょっと飛ばしますが。最初に先ほどの展覧会の説明をお話しするときに言ったように

  • アートの祭典、お祭りといいながら全体的に深刻なテーマが語られている展覧会なんですけれども、そもそも現代のアートというのはそのようなもので一番最初に山下清のところでお話したところで芸術というのは世界の闇を照らす必要があって政治は都合の悪いことは隠していきます。選挙で選ばれる人、選ばれたい人がいるから

  • ある意味構造上そうなんですけど、その問題を明らかにするのが文化の仕事で、ドクメンタではそれが自明のこととして、きちんと機能している。それにたくさんのお客さんが詰め掛けているという状況が見られたと思います。これは、ニューヨークの話も持ってきていますが今年の1月にトランプ大統領が国家の安全保障のために中東など7か国の出身者の入国を禁止するという大統領令を出して大いに問題になって話題になりましたけどその直後にニューヨークにあるMoMAが展

  • 示会を行って名指しにされた7か国の作家の作品を急遽展示室に並べたんです。そのうえで、この作品は大統領令によって入国が拒否された国の者の作品だと。しかし歓迎と自由という理念がこの美術館にとってもアメリカにとっても不可欠なんだと示すために急遽展示するというメッセージを出したということがありました。芸術文化が政策から非常に独立して民主主義の番人として機能するというか、そういうことが社会的に求められてる。現代のアートについて求められていることがわかる例をいくつか出させてもらいました。このように現代美術が政治的で思

  • 想的で倫理的でかつ実践的である。そういうふうに機能しているからこそ逆にアール・ブリュット、アウトサイダー・アートという概念も機能するのだと思います。例えば、純粋に描くという行為。社会問題から完全に切り離されて独立して、その影響を受けずに物を作るということはこのグローバル化した社会において今でも可能なのかということは考えてみる価値があると思うんですね。その意味で、アール・ブリュット

  • というのは社会的な面からというよりは精神的な面からアートというものは何かというものを問い直せる1つの概念としてあるのじゃないかなと思います。実は、日本の障害のある人の創作活動というのもそこまで、いけるのではないかなと思っています。そのためには、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートという言葉を障害のある人の作品というふうに考えてしまってはだめで現代美術と対を成すものとして

  • いわば大文字のアートですね。アートというものや文化や政治というものを考察して反省するための装置として機能させることができれば十分に意義のあるものになるんじゃないかなと思います。カッセルに話を戻すんですけど当然、社会的な重たいテーマが扱われる展覧会なので障害をテーマにした作品もいくつもありました。例えば「ナッシブのパン屋」という作品なんですけど

  • レバノンの作家の方の作品ですがレバノンの紛争地域で障害者雇用を目的として開業したパン屋さんがありました。ところが、障害のある方に対する差別的な認識が強い地域であったので全く客が来なかった。障害者が作っているものだからと、客が来なかった。そこで、このパン屋さんは孤児院とか老人ホームとか精神科病院にパンを売るようになったんですね。

  • そこでは、買ってもらえたので、そういうふうに売っていた。ところが、内戦が激化してくるとその地域では小麦とか水が全く手に入らなくなってくるんです。ところがこのパン屋さんは非営利の福祉事業になっていたのでやや傷みかけていた小麦粉が普通に回ってきてたんです。そういうものでさえ、この街では超ぜいたく品になったのでこのパン屋にはすごい行列ができるようになって大繁盛する。

  • 大繁盛すると、数週間後に敵軍に目をつけられて木っ端微塵に跡形もなくなったということがあってそのパン屋さんを再現した作品なんです。実際にそこでパンを作って作って食べれるということになっている。イベントとしてときどきですが食べられるようになってる作品があったりあるいは、子どものころに事故で両腕を失ったあとにさまざまな身体表現とかダンスとかをやったり衣装を作ったり、両手のない人のための衣装をデザインしたりとか、絵画を描いたりという

  • パフォーマー画家として活躍していたロレンツァ・ベトナー。かつ彼はトランスジェンダーで性の問題、あるいは障害の問題をテーマにした創作活動を行っていた人が大々的に展示されていたということがありました。これは彼の大きな作品ですが近くで見ると全部、足で描かれているのがわかります。どちらも、現代アートの文脈の中で取り上げられて

  • 展示をされているわけなんですが、障害者アートを障害のある方の創作とはあまりいわれない。「ナッシブのパン屋」は障害のある方のものではないですけど昨今の障害者支援の日本の助成金が、このような現代芸術の助成を行うとはあまり思えないですね。なぜ、こういうものが障害者アートではないのかということなんですね。恐らく、そこには歴史的に日本の障害のある方のアートというものにはアール・ブリュット的なオリジナリティー神話とか

  • それから同時代美術からの断絶というものが求められてきたからではないかなと思います。じゃあ、逆に、大文字のアートメインストリームのアートで障害とは何か。それは、口で描くこととか足で描くことと関係があるんでしょうか。あるいは芸術文化の中で障害というのはどう位置づけられているんでしょうかという問題をこの話は呼び起こすと思うんですね。そこまで、アール・ブリュットあるいは障害のある方のアートということから

  • 考えを進めていくことができれば、それは決して障害のある人のアートという問題だけではなくて例えば、難民問題とか性的マイノリティーとか、そういうものをはじめとする社会的マイノリティーの問題あるいは格差社会を生み出している社会の構造そういう問題について考えることにもつながっていく。そういうふうな、大きな可能性をアール・ブリュットという概念について考えることは本来持っていたものではないのかなと思います。つまり、障害者芸術支援という問題。今回の大きなテーマになっている

  • 障害者芸術支援という問題はいわば、大きな視点から社会の問題を考えて、真にインクルーシヴな社会とは何かということについて考える機会。そういうものを全ての国民に提供するということにつながっていかないといけないのじゃないかと思います。だとすれば障害がある人の芸術活動の支援というのを本気で考えるならば

  • 障害のある方の創作物に何か別の名前をつけてそれで、その呼び方によって障害者アートという耳障りの悪い障害者アートという言葉をあいまいにして、そのうえでクオリティーの高い作品の展示だけを行って、問題を矮小化してしまうということは起こっていはいけないのだと思います。

  • そういうふうなことだと、いわば知的な障害のある人とか発達障害のある人による主に絵画および立体物だけがもてはやされて展覧会バブルのようにあちこちで展覧会だけが繰り返されていく。そういうことは作者あるいは支援の現場を疲弊させていくだけではないかなと思います。障害のある人の捜索活動というときにそのことの持っている問題の射程距離はもっともっと広いと思うんですね。障害のある人の創作活動そのものの在り方とかそれが社会の中で置かれている位置などを

  • 考えながら、いわば日本の障害者政策の光と闇。あるいは、マイノリティー制作とかそれらに対する社会的偏見それらをきちんと照らし出していく仕組みができないといけないのではないかなと思います。アール・ブリュットという言葉がもし機能するとすればそれは、そのような考察とか検証ための補助線だと思うんですね。アートという問題を考えるときにアール・ブリュットという観点からものを考えてみるということによって今、大文字でアートといわれているものの中から漏れているものは何か。

  • 何が漏れ落ちているのか。あるいは、障害のある方の芸術支援を考えるときに何が優先されているのかを考えるためのきっかけとしてアール・ブリュットというのは機能させなきゃいけない。そういう批評的概念としてなら機能すると思います。山下清についてお話したときに山下清が障害者支援の芸術の文脈でもアートの文脈でも考察されないのはなぜかというのを最初に皆さんにお問いかけをしま

  • した。そこには、いわば、障害とか、芸術とかあるいは障害のある人の芸術に対する私たちの偏りというものが鏡のように映し出されているのではないかと思います。繰り返しになりますが、そのような社会の偏りをアートを通じて照らし出すことが障害者芸術支援、文化支援の目指すべきところではないかと思います。これほど大規模なイベントが開催できるということはそのポテンシャルが、この国にあるということではないかと思います。

  • 障害者アートのフォーラムですっていって600人も集まるのは世界でも日本だけだと思うんです。それは、本当にすごいことだと思います。そのような大きなポテンシャルを2020年の東京オリンピック・パラリンピックに文化で花を添えましょうみたいな非常に短絡的な場当たり的な目標設定のために使ってしまうのはとてももったいない。もっともっと、大きな、はるかに大切なものがその先にあるのではないかと思います。それぐらいが私の話なんですが最後にちょっとだけ

  • 告知をさせてください。甲南大学で大川誠さんというアトリエ・コーナスに所属していた方が所属していた方つい最近、亡くなられたんですけれどもその方の追悼個展をやります。個展には展覧会自体は小さなギャラリーですのでちょっとした点数は出ないんですがトークイベントをやります。そこには今日のモデレーターの中津川さんにもお越しいただいて、やろうと思っ

  • ています。15日、もし関西にお越しの機会があればご参加ください。あと、その2日後には小幡正雄さんというこちらも日本の障害のある方のアートで評価をされている代表的な作家の1人ですがこの方も2010年に亡くなられたんですけど彼の展覧会が神戸のギャラリーでありましてそれに合わせて、2日後にトークイベントがあります。こちらももし機会があればごらんいただければうれしいなと思います。ご清聴いただき、ありがとうございました。【東】ありがとうございました。もう一度、たくさんの拍手をお願いいたします。

  • そして、また後ほどよろしくお願いいたします。とても、面白くて、ためになるお話でもっともっとお伺いしたかったんですが続きは、またシンポジウムで。後ろのほうで次のシンポジウムの準備をいたします。服部先生、ものすごい早口でした。手話の方と、NHKグローバルメディアサービスさんの文字打ちが、すばらしくて。今、まさにライブ配信しています。

  • この準備中は、フェイスブックのアカウントを持っている方確認していただいて結構です。お友達やお仲間の方に、お知らせください。とてもきれいな映像で字幕がどんどんこんなふうにライブで配信しています。フェイスブックのアカウントもしくは検索は、こちらです。livetext.jp。こちらで検索していただきますとページが出てきましてつながるようになっています。どんどんこれを拡散してください

  • 。といいますのは、やはり、いろいろな事情でこちらには、参加できなかった方が全国にいらっしゃいます。施設やアート活動をするご家族や関係者の皆さんです。今日は、このあとシンポジウムがありまして休憩があって、もう1つシンポジウム。そのあと、交流会を開催いたします。交流会は前もって予約をしていただいた方なんですが

  • こんなにたくさんの方にお越しいただいておりますので今日、やっぱり、参加したいわという方は後ほど、手続きをしてください。1000円お支払いいただきますと、ホッピー、ワインスパークリングワイン、そしておつまみ、軽食を準備していて、まだまだたくさんの人の話を聞きたい。そして、こちらに集まった方と交流をしたいという方もたくさんいらっしゃると思います。

  • 服部さん、今日はこのあとの告知はしていただいたんですが、本の販売はないんですね。なので、口頭でご紹介させていただきます。私、勉強させてもらってて勝手に書評も書かさせてもらったりしているんですが、「アウトサイダー・アート」光文社新書から出ています。「山下清と昭和の美術」「障害のある人の創作活動」

  • 「アドルフ・ヴェルフリー2万5000ページの王国」などご本、たくさん書かれています。とても読みやすくてわかりやすいので、これからアート活動をするアール・ブリュットって今、わかったけれどももっともっと深く知りたい。アウトサイダー・アート日本の大文字のアートとか障害のある作家さんのアート、どんなのだろうということをもっともっと知りたい方はぜひ読んでみてください。