• ゴメズさんはジャーナリストとしては辛らつなものを書いていたりしますので、またちょっと交流会で、ご案内させていただければと思います。シンポジウム2を開催します。まずは、アウトサイダー・キュレーター櫛野展正さん。たくさんの拍手をお願いします。2000年より知的障害者福祉施設で介護福祉士として働きながら広島県福山市の鞆の浦にありますミュージアムで

  • キュリエイターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門のギャラリーオープンのためにお越しになりました。社会のアウトサイドで表現を行う人たちに焦点を当てて全国各地の取材を続けていらっしゃいます。よろしくお願いいたします。櫛野さん、そういう方を見つける特別なアンテナを持っているようなんです。続いては社会福祉法人グロー法人本部企画事業部文化芸術推進

  • 課齋藤誠一さんです。よろしくお願いします。ご紹介させていただきます。2006年からアール・ブリュット・コレクションとボーダレス・アートミュージアムNOーMAとの連携事業の事務局を担当、2010年フランスパリで開催されました先ほどもちょっとお話に出ました「アール・ブリュット ジャポネ展」の日本事務局、2014年から2016年までは障害者の支援活動モデル事務所の

  • 連携事務局。現在は救護施設で生活支援を行いながら障害者芸術文化活動復旧支援事業の連携事務局も担当していらっしゃいます。よろしくお願いいたします。続きまして、作家の田口ランディさんです。よろしくお願いいたします。デビュー作「コンセント」がベストセラー。

  • 「できればムカつかずに生きたい」で婦人公論文芸賞を受賞されました。社会的な重いテーマから、SF、オカルト、仏教と、ボーダレスな作品を幅広く、小説やノンフィクションなどジャンルを問わず精力的に執筆しています。そしていろんな分野のアーティストとコラボレーションを展開。地域の福祉活動や原発問題の研究会なども開催しています。自身の介護の体験から福祉、介護、精神医療に関わる仕事も多いです。続いて株式会社FOSTER代表、杉本志乃さんです。

  • アートコンサルタントです。大学卒業後、ニューヨーク、FITを経てロンドン、サザビーズコンテンポラリーアートなどを修了。銀座よしい画廊を経て2009年株式会社FOSTER代表取締役に就任されました。美術品の販売およびおよび利活用に関するコンサルティング事業を行っています。今年3月、表参道にて優れた障害者の作品を

  • マーケットとつなげる「アール・ブリュット?アウトサイダーアート?それとも?そこにある価値」が開催されました。よろしくお願いします。そして、ビッグ・アイアーツ・エグゼクティブプロデューサー鈴木京子さんです。よろしくお願いいたします。フリーランスで舞台イベントの仕事に関わった後

  • 、企画制作会社リアライズを設立。2001年より国際障害者交流会、ビッグ・アイの事業に関わっています。厚生労働省文化庁2020年東京オリパラ競技大会に向けた障害者の芸術文化振興に関する懇談会の委員でもいらっしゃいます。就労企画部員、全国国立文化施設協会コーディネーターでいらっしゃいます。よろしくお願いいたします。今回のこういった企画を立ち上げた発起人の1人でもあります。そして再び美術家の中津川さんにもよろしくお願いいたします。

  • 皆様、お待たせいたしました。ここから、びしばしとお話いただきたいと思うんですが。ゴメズさん、あとから海外からどういうふうにみられているかというのを交流会でコメントをいただきたいと思います。今日は全国から登壇者もお越しいただいています。

  • 櫛野さん、アウトサイダー・キュレーターというまた、新しい言葉が出てきたなと思われているんですね。その辺りも解説しながらシンポ1を受けての感想をお願いします。

  • よろしくお願いします、櫛野です。のどが乾きすぎたのでお水を飲ませてください。

  • 乾燥してますよね。私もすごくのどが渇きます。

  • 僕は広島県福山市というところからまいりましてアウトサイダー・キュレーターと名乗っております。日本唯一のアウトサイダー・キュレーターとほかに名乗る人がいないというのが大きな理由なんですが。あとで説明しますけど僕は、障害者の方もそうなんですけど、障害があるけど手帳を持ってないだとかまたは、障害がないけれども何か

  • 変わったものづくりをしている人たちの作品を取材したり収集したりしています。

  • あちらで物販をしていますけど「アウトサイドで生きている」って本を出されました。とてもユニークな皆さんと作品を紹介してますよね。

  • 東さんにも書評を書いていただきまして。18人のそういう方々を紹介していますね。

  • シンポ1を受けていかがでしたか?

  • やっぱり、僕はかなり知識があるほうなので、知っていることのおさらいという気はちょっとしたんです。後半、盛り上がってきたときに終わるというのが、このシンポジウムの定番だなと思うんですけど。

  • 一石を投じましたねとひと言、言ってください。では、ランディさんいかがですか?いっぱい活動されてるんですよね。本業とは別に。中津川さんともよくフェイスブックでの姿を拝見します。

  • 地元で発達障害の介護を立ち上げているのでそこでアートワークショップなどを一緒にさせていただいていますけど、第1部のほうを見ていて私、日本で初めて「アール・ブリュット展」が開催されたとき、「交差する魂展」、「新日曜美術館」がアール・ブリュットを取り上げたんですね。そのときのナビゲーター役だったんです。

  • そのときからアール・ブリュットとの出会いが始まって、スイスのローザンヌ美術館にも行ってるんですけど、どうしてもアール・ブリュット展の「交差する魂展」を見たときに過酷な人、海外の「アール・ブリュット展」の作品を見たらずきゅんときてしまいまして、ものすごい衝撃を受けて。なんで、今までこんなもの見たことないと本当に興奮して

  • 絶対この仕事やりますって言ってどうしてもローザンヌに行きたくなってローザンヌまで行ったんです。さっきもたくさん、お話が出ていましたけど。ローザンヌのアール・ブリュット美術館で。ずっとそのときのことを話を聞きながら思い出していたんですが、アール・ブリュット美術館、ローザンヌまで行って、中に入って館内を見回していたら一角だけ何か人が多くて、ざわついているところがあるんですよ。あれ、ここで何が展示されてるのかなと思ってそこに寄っていったらそこが「アール・ブリュット ジャポネ展」。

  • 日本人の作品が展示されているコーナーだったんです。そこがたくさんの外国の方たちが感想を言いながらざわざわと見てらして、どういうことを感じてらっしゃったかと思ったら、すごくほかの作品と違う。何か日本的なものを感じる。淡くてきれいすごい情緒を感じるということをおっしゃっていて。まだ、全然アール・ブリュットとか障害者芸術が注目されていなかったころだから私、そのときにすごく感激して、

  • できれば、すばらしい作品を本当にたくさんの人に知ってほしいって痛切に思って、それで日本に帰ってきてからアール・ブリュットの勝手な応援団になって。そんなことを思い出しました。

  • そういうハートをわしづかみにされて、応援したいって人がもっともっと、日本で。海外では割と評価されているけれども国内ではまだ知られてない作家さん、多いですよね。もっと広がりを見せてほしいですね。そして、斎藤誠一さん、今日は滋賀からありがとうございます。この「アール・ブリュット ジャポネ」に関わっていた方ですもんね。

  • お仕事として関わっていました。

  • シンポ1を受けて、いかがでしたか?

  • シンポ1を拝見してましてすごくやっぱりここの会場にこれだけたくさんの人が、いらっしゃるということ自体も、改めて僕たちがボーダレス・アートミュージアムを始めたのが15年ぐらい前の話ですけど、そのときは、本当に今、シンポ1でも、いろいろと

  • 文化なのか厚労行政なのか両輪だみたいな話もありましたけど本当にそのときって滋賀県行政が障害者福祉の観点で応援してくださったところがスタートで。しばらくは文化のほうは障害者の出来事でしょということだったり。厚労のほうは文化だったりという時代が長く続いていたことなんかも思い出しながら聞いていましたのと、あとはシンポ1を受けてで言いますと

  • 、本当に障害者の芸術活動をめぐる論点ってたくさんあるんだなと思って、改めて思っていました。売買の話をしたりですし、成年後見人の話も出てきましたけど個人の意思決定とか、権利保護をどうしていくのかというところなんかも、まだまだ議論する余地があるだろうということを思っていました。1点、法案についても、少し今中さんが中根さんのホームページを紹介されていて

  • きっと、恐らくいい内容でしょうということで僕も内容を全部覚えているわけではないんですけどいい内容なんだろうなと思って見ています。というのも、間違ってたら申し訳ないんですけど、公の責任をある程度明記して国は計画を作るべしということとか、地方自治体も努力義務で作っていこうということはなんかまた公が応援したら少し違和感があるだろうなと思われる方、いらっしゃるかもしれませんけど、

  • 障害のある方々の地域…。さっき西にバランスが寄っているみたいな話がありましたけど全国で同じように、障害のある方々が活動に参加できたり評価を受けたり、機会を身近な場所で得られるためには地方自治体の取り組みって欠かせないので。それを実現していくには法律の力というのは一定あるんだろうなということも感じていました。

  • これが、懸念として美術館が展示をしなければいけなくなるなどということは、それこそ、地方自治体の中で議論されるべき話であるのでそこは、懸念としてはあるかもしれませんけど法案にそこまでうたわれていることではないということだけはお伝えしておきたいなと。

  • まだこれからというところなんですよね。それを私たちが注目して、専門家だけではなくて、私たちも意見交換、議論をしていきたいところですね。

  • できれば混ぜてほしいですね。

  • 混ぜてほしいですね。当事者の作家さんの方とか、活動されている方、ご家族とかの声が、なかなか届きにくいですからね。では、いかがでしょうか?今日はありがとうございます。お忙しいところ。次に向けても動いていますしね。

  • そうですね。皆さんこんにちは。FOSTER代表の杉本志乃と申します。まず冒頭申し上げておきたいのは私、実は1つ上の兄が、重度の知的障害者でして、私自身が当事者としての側面も持っているということもまずお伝えをしておきたいと思います。

  • ご家族にということですね。

  • 私は、家族も当事者かなと思っているのでそのことをまずお伝えしておきたいと思います。今日、本当にそうそうたるメンバーの中に、なぜ私がお声がけをいただいたかというと先ほども説明していただいたんですけども、日本財団さんの助成を受けまして、今年の3月に表参道のハイエンドなシャネルとか

  • そういうブランドが入っているビルのMoMAショップ、ニューヨーク近代美術館に隣接するギャラリースペースで展覧会を開催させていただきました。全国の8つの事業所から25名の作家の方をセレクトさせていただいて、50点あまり展示をしたんですけれども3週間の会期で、アフターセールも入れると、七十数点、作品が販売につながっています。

  • その値段のつけ方も、決して障害を持っているからといって安く値段をつけたわけではなくて、私、ずっと、現代美術の業界にいた者なのできちんと適正な価格をつけて販売したところ、そういった結果につながっています。私はアートの畑の人間なので福祉サイドのほうで、どういったことが起きているかということは本当に聞きかじっている程度で、すごく中途半端だったので今日、いろんなことを勉強させていただいて、すごくためになりました。ありがとうございます。

  • 原宿という場所で障害のある作家さんたちの作品が、あんなふうに並ぶというのは、すばらしいことですね。大きな刺激になりますね。

  • それだけ、クオリティーの高いものを作っておられる作家さんが全国にたくさんおられるということに気づきがありまして。ただ、彼らは発信力がないので、なかなか、美術のフィールドにアクセスされないと思っていて、その辺をもう少し整理をして、例えば特定の団体であるとか、個人であるとかが、私たちのような

  • アートの世界のものにアクセスしてきてくれたらいいなというふうに思います。

  • それだけ購入する方も多いのはすごいですね。

  • ディレクションの杉本さんとか、割かし、障害者アートに関わるというよりか本当にクリエーターとして第一線で活躍されて写真家の方もそうだったし、そういう意味ではいわゆる、アール・ブリュット障害者アートとかってコンセプトで展覧会を組まれたという感じですね。

  • 約1年半ぐらいかけて本当に作品は丁寧に見させていただいて、中には膨大な数の作品を制作なさっている方もおられたので1点1点丁寧に見させていただいて、あくまで商品として販売につなげていくという趣旨の展覧会でしたので。

  • ちゃんと売れたというのがすばらしいですよ。希望ですよ。

  • 本当に実験的な展覧会だったんですけれども、適正な価格がつけられて、お見せすることができればマーケットはあるというふうに、私としては確信を持っているところです。

  • そして、お隣、鈴木京子さん。活動のご説明を。シンポ1を受けて。

  • 私自身、障害のある人とこういった芸術に関わったのは、1999年の終わりぐらいから2000年ぐらいにかけて。もともと舞台芸術から入っていってビッグ・アイというところで仕事をするようになってアートの仕事に関わるようになりました。それがちょうど2011年から。今日皆さんにお配りしている中に

  • ビッグアートプロジェクトというコンクールと、コンクールの選んだ作品を展覧会をしていくという事業をやっています。前半見させていただいたときに2010年、2011年辺りに始めるときに、すごい考えたなということがあって。今でこそ、いろんなコンクールができてきて例えば地域の名前がついていたりするんですけど。そのころ、そんなにコンクールもなくて。

  • しかも、うちは全部を現物審査するという、ちょっと結構挑戦的なこともしたんですけど。そこで、どういったコンクールの名前にしようかなと思ったときにコンクールというか、アートそのものに対してどういう名前をつけようかなと思ったときに、いろいろ、考えて、いろんな方に美術について教えていただいたりした中で

  • 逆に名前はやめようと思ったんですね。ビッグ・アイアートプロジェクトというプロジェクト名だけにしました。前半の話で、アートのことについてやったときに、もしかしたらアートプロジェクトとは言いながら中津川さんがさっき、前半でおっしゃっていた、うちのプロジェクトって表現プロジェクトかもしれないなと思っていて。というのは、立体もありますし、写真もありますし、書もありますし、映像もありますし、

  • 障害のある人が、こういった表現を見せたい、評価してほしいというものは、全て、受け入れるというところと。アール・ブリュットという言葉を使わなかったのでうちの応募の中には、一般的に知的精神の方が主に、日本のアール・ブリュットの中には多いんですけど

  • 、それ以外の視覚障害の方とか聴覚障害の方とか障害の種別も多様で、結構、多様な人が海外も入ってきてるので多様なコンクールになっているのは前半のお話を聞いていて思いました。あと、もう1点、自分がずっとやってきた舞台のことに関していうと、舞台の中では障害者舞台なんていう言い方って生まれないよねっていう。舞台っていろんな人が関わるので

  • 、あまり障害者の舞台作品とかとは言わなくて単なる舞台芸術であったり舞台作品といわれる、そこの違いはなんだろうなと思いながら前半聞いておりました。

  • 本当に鈴木さんのところのコンクールの賞をとった作品ってジャンル、ありとあらゆる作品が多くて本当、面白いんですよね。何回見に行っても飽きない。やっぱり、タイトルを考えてしまうというのはアートの世界ですね。志乃さんのところの原宿のタイトルが「アール・ブリュット?アウトサ

  • イダー・アート?それとも?そこにある価値」って。タイトル悩んだろうなというのが伝わりましたが。本当に数か月悩みまして。アール・ブリュット使っちゃいけないの?

  • アウトサイダー・アートじゃないの?って。私たちの感覚から言うとアール・ブリュットはヨーロッパで根付いていますしアメリカでもアウトサイダー・アートというのはひと言言えば通じるというところがあって、なんで日本で使っちゃいけないのというところで言及させていただいて今、納得しているんですけど、そういうところでじゃあ、率直にそういう自分の中のもやもや感というか、それを表現してもいいんじゃないかというところで実はあれは練りに練ったタイトルです。

  • 「それとも」で止まってるんですね。とにかく価値を見ようということですね。

  • そこにある価値って英語の副題も生来の創造性というか、そういったものもついてるんですけど。本当にいろんな方から意見を乞うて、私の中でも悩み悩んでつけた。

  • シンプルにいうと、いいものはいい、アートはアートだということですけど、いいものはいいという言葉が、どうも櫛野さんはあまりお好きじゃないんですよね?

  • そうですね。僕はアール・ブリュットという言葉は極力使わないようにしていまして。

  • なぜ?

  • アール・ブリュット、イコール障害者のアートという語弊があるのもそうなんですけど本来のアール・ブリュットはやっぱり霊媒師の方が作った表現とか犯罪者が作った表現などいわゆる負の側面を持つような表現も入ってくるんですけど。日本においては、例えば極端に暴力的な表現だったり極端にエロスな表現だとかはあまり展示の機会が多くはなくて。今、結局、多様性という言葉を、今日もいろいろ話してますけど、光が当たってない部分があるなというのをすごく感じていて。

  • だから、今、アール・ブリュットの業界で起こっているのは、ある程度、平均化された対応をされているか僕らが見えないところ、光があれば影があるので。僕はその影の部分をあえて、焦点を当てようと思っていまして、意図的にそういう負の側面を持つ言葉であるアウトサイダー・アートという言葉を使っています。

  • 中津川さんとよく話をするのは影の部分こそ面白いというか暴力的なとか、死のにおいが立つというか。クシノテラスのオープニングの展示会が死刑囚の芸術だったんですよね。

  • ランディさんもテキストを寄せてくれて。僕がそれを見たときにアール・ブリュットうんぬんというので法の外にいるというか本当にそういう明日死ぬかもしれない人たちの表現を見て、アール・ブリュット云々を見て、表現とは何か。根源的なものをとても感じたの。だから評価できないんですよ。評価の外側にあるけど、見たときに、ものすごく衝撃があって。たまたま、そのときに一番衝撃を受けたのはカレー事件の林真須美さんのドローイング、いっぱいあったん

  • ですけど、障害者の表現はまたそこから見えてくるなというものがあるんですけどね。

  • 私たちが死刑囚という色眼鏡をかけてどうしても見ていくんだけど、全く人間だというところを感じるんですよね。あれ、どうやって1回目、選んだんですか?なかなか、行きづらいなと思う人もいたと思うんですよ。死刑囚のって。

  • だから、そういう、こけら落としはこういう方向性でいきたいという決意表明でもないといけないかなと。アール・ブリュットってなんだろうって、自分なりに考えてるんですけどやっぱりなんだかよくわからないものを僕らがわかる形に落とし込んだある種の発明かなと、僕は思っているんです。とするならば、そこには僕らが理解不能なものもあって、それは、現在もアール・ブリュットの世界では光が当たっていないような部分であったり、または注目されてない部分なのか

  • なと思います。

  • アウトサイダーという言葉をあえて使っていますけど人によっては、その言葉もいやだと。社会から、はみ出たとか、はみ出されたというイメージがあるからじゃあ、インサイダーがあるのかという人もいますよね。

  • 社会のアウトサイダーではなくて美術の分野でのアウトサイドという。いわゆる文化的伝播の影響がない人たちという意味で僕はアウトサイドという言葉を使っていますね。

  • その辺りの呼び方というのはランディさんはどういうふうに、使い分けていますか?

  • 私、作家で言葉を使っている職業なので言葉の性質というのはよくわかっているのです。言葉は物を分けていくための道具なので、例えば、赤という単語を1つ使ったら、赤が定義された瞬間から赤でないものも生み出してしまうんですね。必ず、そういう性質、オポジットを作る性質を持っているから定義すると、単にそうじゃないものというのは勝手に自動的に生まれてくるんです。なので、定義というのは非常に難しい。長い時間をかけて、それらは安定、定着していくのかもしれないし、それは、言葉

  • いろんな歴史があるけれども個々にどういうものが名称として残っていくのかはその言葉の歴史というのがあるんですね。それとともに生きてきた人の歴史があって。なので、私はアール・ブリュットは早い時期から関わっておりますけど、最初の段階から、アール・ブリュットの定義に対する疑問は関係者の中に常にありました。そして常に戸惑いながら

  • 進んできたと思いますし、何度も何度も私もそのことに質問を受けて。でもそれは、一度それを使ったら、それでないものを成立させてしまう以上、丁寧に使っていくしかないねというような印象を持っていましたし、そうお答えしてきました。すごく、この議論をされてきましたよね、最初のころから。

  • グローさんの中では呼び方というのは議論がなされているんですね。

  • そもそもボーダレス・アートミュージアムというミュージアムを立ち上げたときの館の名前にしてもボーダレスアートという冠をつけたことでボーダレスアート展みたいなものがあるところでボーダレスアート展という名前を使っていいですかという電話がかかってきたことがあったりですとか、言葉って先ほどのシンポ1でもおっしゃったアール・ブリュットを使うのは自由で、僕らもそう思っていて。僕らというと、ちょっと広くなりますけど、僕がアール・ブリュットに魅力を感じたというか、極めて福祉的な側面かもしれませんけど僕自身は、少し生い立ちも含んだ

  • 話になりますけど、北海道の大学で、ずっと福祉の大学でしたから、障害者は地域で当たり前に暮らすべきだというちょっとカリスマ的な先生がいて、その先生にずっと教えられてきて、そうかと。入所施設よりもやっぱり地域で暮らすんだと思っていて立ち上がったばかりの作業所に、大学を出てすぐに就職するんです。それも地域福祉の急先鋒だと思って

  • 取り組んでいたわけなんですけど。あるときそこの5人ぐらい通って来ている障害のある人たちを思ったときに、やっぱり、この人たちは親がいなくなったら、彼らもやっぱり入所施設に行かざるを得ないんじゃないかなと思って悶々としていたときに、僕は北海道にいたんですけど滋賀県に。

  • 今から15年ぐらい前って障害者施設の地域間格差が激しい時代でした。それで、福祉の実践を見聞きして、福祉を学びに滋賀に来るんですが滋賀は障害者にとってはパラダイスな土地なんだろうなと思って来るんですけど、そこでも僕はグループホームの担当になってグループホームを立ち上げるために地域の説明会を開くと

  • その地域の人たちからいわれない障害のある人がいたら塀を立てろとか、うちの娘に何かするんちゃうかとか、そういう反対運動とかに遭ってグループホームを断念しました。それがちょうど2006年のことでした。その年の11月にルシアン・ペリーさんが、さっきローザンヌの話、ランディさんがおっしゃってましたけど、日本に調査にアール・ブリュット・コレクション前の館長さんが日本に調査に来たときに澤田真一さん

  • 、ゴメズさんも話をされていましたが窯元に行きまして、すごく澤田真一さんをリスペクトした感じで砂利の音がうるさいから黙ってといわれるような、なんなんだろうって。この地域で障害があるってことだけをとって反対する地域住民がいる。僕は滋賀県はパラダイスだと思ってたのに違ったとかっていうことと、2006年にアール・ブリュットコレクションの館長がきて、障害はあるけど、ア

  • ーティストとして見てるからリスペクトして、彼に向かい合っている。こういう感覚がどうやって日本の社会に広がることで、反対しない…。反対しないっていうとちょっとチープですけどグループホームを立ち上げるときに反対がない社会になるんじゃいかなと思ったのが僕の取り組んでいるモチベーションです。結局グループホームは別の場所に移して

  • 実際、もう1回、反対運動にあうんだけれども、そこのグループホームの建物の隣に住んでいた方が過去に聴覚障害のある方と大学の寮が一緒だったということをもって、障害があるからって僕らと分けちゃいけないということをその人が、町の人を説得してくれて、グループホームを立ち上げられるようになるんですけど、やっぱり出会う機会をどう作るかということ自体も障害のある人の芸術活動に取り組む意義の1つだと思いますし。

  • そんなことで、名称がうんぬんということではずれたかもしれないですけど。

  • とても重要なことだと思います。日本は多様性社会に向けてというふうに言っています。ボーダーレスという言葉もよく使いますけど。今、逆行しているんじゃないかなと感じている人も多いと思うんですね。もっともっと分断されている。相模原のやまゆりの殺傷事件がありましたよね。あれの風化も早くて本当に怖いなと思ってるんですけど

  • 、あの分断されたからこそ、起こってしまった事件をもっともっと、私たちは言葉でつむいでいかないといけないと思うんですよね。多分、福祉の専門家の方は今の日本の行方ってすごく歯がゆい思いもあるんじゃないですか?

  • やまゆり園のことは、これは、なかなかちょっと言葉にするのは難しかった時期がずっとありましたね。なんか言葉を発して、このことに言及すること自体も、なんか、自分が試されている感じがしてというか、ありましたけれども

  • 本当に深い問題で差別みたいなこととか。ちょうど2月にランディさんが滋賀にお越しくださって、やまゆり園のこと、ふくしまさとしさんという目がみえない方とセッションしていただきましたけどランディさん、何かありますか?

  • やまゆり園の事件に関して、私は1つだけ原稿を書いたんです。それは、ある方から依頼を受けたのでお受けしました。私に依頼をしてきたのは大阪で劇団を主宰している方でした。彼女は、この事件を絶対に私は風化させない。だから1年経って特集号を組むから絶対にランディ、原稿をどうしても書いてくれって、いつも、すごい押しが強いんです。それで、私は彼女の押しの強さには抗えなくて

  • この問題書くのつらいなと思いながら書かせていただきました。その彼女の思いの強さは、彼女が抱えてきた人生の強さ、重さと比例するんだろうなと感じました。彼女は、ポリオで座ることも困難な1級の障害者なんですけども、

  • ご自身で30年前から劇団態変という「たいへん」は態度の「態」に「変」なんですが、重度の障害者の方で構成されている劇団を運営されているんです。いつも彼女の劇団のアフタートークとかに呼んでいただいて来月も東京であるんですけど、そのときに、私、彼女に突きつけられてくる障害者の表現ということが私にとってはとても勉強になっているんですね。

  • まず、私があるときアール・ブリュットについてスイスのローザンヌに行ってこういう芸術を見てきた、すごいよって言ったら、「ふーん」って言って、「あんたたちはすぐ、そうやって

  • レッテルを貼るけど、私にはそういうの貼らんといて」と言われたんですね。私たちの表現にたいして何かを勝手にネーミングするなと。絶対にしてくれるなと。私たちは、支援を受けないと。1つの劇団としてやっていくから支援という形では来ないでくれと。そして、ランディに頼むけど、私はバリアフリーというのが好きじゃない。「なんでですか?」

  • 「バリアフリー社会にしようってみんな、言ってるじゃないですか」って言ったら「あのな、障害者にはバリアも必要なんだと。じゃないと、いろんな形で支援されちゃうから。そこには、やっぱり、なんらかのバリアがあっていいんだ」と。こっちの体、こっちの心を守るために、やっぱりバリアはあってもいいとおっしゃってそれは、私にとって、いろいろな問題を考えるうえでものすごく衝撃的なことで彼女のひと言をとにかく自分の中に入れながらいろんなことに、向き合っていこう。特に表現に関わることは

  • 自分も表現者なので、という言い方も傲慢かもしれないんだけど、表現をしているとき、表現の中に入っているとき、私は、神様の庭で遊んでるんですね。だから、遊んでる状態というのは私だけの宝物というか、かけがえのない、神様と一緒になっている瞬間のようなもので、

  • ここには、何も入り込む余地がないんです。

  • 劇団態変という劇団、ご存じない方も多いと思うんですが、ものすごい、いいんですよ。いいんだけれども、テレビでは紹介されないんだろうなと。こういう劇団ですとかパフォーマンスをしているアーティストはたくさん、いるんですね。そういったところでも

  • 分断されていて、施設の話も出ましたけれども、私たちここにいる人たちは、全員障害の…。障害というのもおかしな表現なんですけど、障害者の人たちと関わるんですね。施設というのは、すばらしいところだと思うんですけど青年期、壮年期、一生同じところで過ごす。これをどういうふうに受け取ればいいんだろう。中津川さんと大好きな映画があって、イタリアは精神病院を全廃しているんですよね。

  • それが、アートの活動も通じて、精神病院はいらないというふうになっていったんですよね。

  • 先ほど言った障害者を街に、というので1986年から法律ができてそれで、精神病院が全廃になったんですけど、全廃にしようっていろいろ運動があったんですけど、実際は、かなり困難な道で街に暮らし始めたのはいいんだけれども、その中で犯罪を犯したりいろいろあって、すごく揺れたんですけど、だんだん、コンセンサスができてきて、精神病の人たちが街にともに暮らすようになったという歴史があってその中でも表現活動というのはとても大きな意味を持っていたんですよね。

  • 実話なんですよ。映画としてもすばらしいんですけど。「むかしモッタのまちがあった」。モッタというのは英語で言うとクレイジーということになるんですかね。それをアート活動、表現活動が、社会とつなげていくという映画なんですね。多分、アートにはそういう力があると信じている人たちですよね。だからこそ、アート業界から志乃さんも気がついたら取り付かれていったというところがあるんでしょうね。

  • 彼らの持つパワーに私は圧倒され続けていまして。でも、一方で、さっき、ランディさんたちの話にもつながってくると思うんですけど、私も、そういう家族がいるので何もできない障害者の存在が尊いということも、すごく実感していて、私の兄なんかも満1歳半ぐらいの知能しかないので、ほとんど何もできないんです

  • けれども、家族にとっては宝物で、天使のような存在で彼らから学ぶことって、すごく多いんです。私、たまたまアート業界にいて彼らの作品を本当に選別をさせていただいて、ある一定のクオリティーのあるものを、一定のお客様におつなぎするということを仕事にはなってるんですけれども、一方で、さっき私、当事者と言いましたけれども、そうでない、障害の方の存在というものが

  • 、すばらしいという思いがやっぱり前提にあるので、それでやっぱりジレンマを感じるところもあるんですよね。一部のアーティストを引き上げていくというか、本当に秀でた才能のある方を世の中に打ち出していくというのが仕事でもあるので、そこで、ちょっと矛盾を感じたり、つらかったりとかする場面もあるんですけれども。

  • 私も十何年前から、コンクールというものをすると今は言われませんけど、障害者に優劣をつけるのかというふうに結構、すごく怒られたり。今は、そんなことはないと思うんです。まだあるのかな…。京子さん、その辺りどうですか?コンクールをされていますけど、今、絶賛募集中ですよね。

  • 絶賛募集中で9月20日までは応募いただけるんですけど、コンクールをやり始めて7年経つんですが、数もどんどん増えてきて、今、大体1500点。海外からは300、400くるんですけど、クオリティーも当然上がっていく中で、この2~3年いろんなところでコンクールが始まって、結構、障害者のアートというのがすごく注目されて、そこに熱がどんどん

  • 上がっていくときに、クオリティーが高いとか障害者イコール絵を描く人とか障害者の絵は、みんないい絵だみたいな流れができて志乃さんおっしゃったように、そこにいない人もいっぱいいるわけで。クオリティーが、展覧会のクオリティーが高くなれば高くなるほど、やっぱりたくさんいるわけで。

  • 今ちょっとプランの途中ですけど、優秀な作品をどんどん飾って展覧会するというのも1つあるとは思うんですけど、やっぱり表現というところを考えて、もう少し人、その人の作品、その人の表現、その人の日常から生まれるものというものを本当はもっと知ってもらえる機会を作れたらいいなっていうのが、ここ1年、2年の

  • …ちょっと障害のある人たちのアートの流れとは少し違う道かもしれないけどそこに、自分自身は、すごく今、気持ちがいってる。そういう今日この頃なんですけど。

  • そういうコンペって、普通、難しいですよね。作品主義になりがちになってしまって背景にあるものが、ほとんど見えてこない状態でいわゆる、どんな審査員でもそうなんですが、どうしても一部の文脈だけでセレクトされるところができてきてしまう。実際に表現者の人たちは自分の作品を、アートだと認識している人もいるし、逆にアートなんて全く考えずにただ、本当に表現している人もいると思うんですよね。もっと言っちゃったら、先ほども言ったように

  • アートの枠組み、美術の枠組みじゃないアートの活動をしている人も多分、いるはずで、それがある種の福祉の文脈の中では問題行動になったりするんですけど、実はそこにこそ、すごく大きな可能性があって彼らの存在とかコミュニケーションとかあると思うんですよね。だから、そこに手を伸ばすアートコンペってなかなか難しいんだけど背景を考えることで多分少しずつそういうものが浮かび上がってきてそれが、もう少しコンセンサスになるというか。

  • やっぱり、それは多分、福祉の文脈ではなくてアートの文脈にも、とても大きいと思うんですよ、実は。

  • 両輪いるってなったときに、タイヤというか、どっちかが大きくてどっちかが小さくなってちょっと傾いていないかなという感覚がなんかあって。そこを、同じように、回れるようにこれもしかしたら今の課題なのかなというふうには感じているんですけど。

  • 福祉とアートの両輪というのがずっと課題なんだけど今、アートコンペ、コンクールって本当に増えていますよね。それが多種多様になっていて京子さんのところみたいに現物をちゃんと見るというのと、最後まで写真を送ってもらってそれで判断するというところが、いい悪いではなくて今、本当に多種多様ですね。

  • 多分、2020年に向けてこれから全国でアール・ブリュットだったり障害者の人たちのアートコンペが増えると思うんですよね。そのときに、どの視点で作品を選ぶのかというのは、とても難しいですよね。僕、展覧会をいっぱい作って、考えているのは、いい作品だけをセレクトして展示しているわけじゃないんですよね。例えば、僕がディレクションしてる施設の展覧会ではやっぱり背景みたいなものとか、

  • 疑問を持つような作品をあえて入れることによって、やっぱり、いいものも光り輝くし、そこに入り口にすることによって福祉に興味持ってもらったり障害のある人たちの環境にも興味を持ってもらったり、その人自身に思いをはせてくれるようなものをあえて入れるんですよね。それによって間口も広がるし問題意識も出てくるということがあるので、それは本当に普通のアートのコンペじゃなかなか、そういうことはできないけど、アートのコンペでも、そういうことができてきたら、もっともっと実り豊かなものになると思います。

  • 櫛野さんもクシノテラスを立ち上げる前は福祉施設で作家の皆さんと一緒に活動していたわけですよね。今の流れってこうなると思っていなかったでしょ、あのころ。

  • そうですね。全然、思ってなかったですね。僕は、ただ最近すごい感じるんですけど今日これが多分、僕の一番言いたいことなんですが、今日も、2020年に向けて、こういうシンポジウムとか各地で開かれてて「障害者芸術支援フォーラム」という名前でやってますよね。障害者の芸術はいいものという前提で話がずっと進んでいるんですけど、僕は、それが完全にそうなのかなというちょっと疑問がありますね。

  • それは、やっぱり、ちょっと話が長くなるんですけど、今の障害者の芸術というものは主に知的障害のある方の芸術を中心に日本は進んでいると思うんですけど、知的障害のある方というのは、言葉でのコミュニケーションというのは、なかなか…。僕、福祉施設にいたのでわかるんですけどやっぱり難しくて、100%その人の意思を伝えることが多分できてないと思うんです。

  • 楽しそうにしていても、本当に楽しいのかもしれないっていう確定はできないし、笑顔でいても本当は泣いてるのかもしれないということを考えたときに障害者の方が芸術活動をする場合は果たして、どうなんだろうと。本人の意思が不在のままで、今日もそうですけど、いわゆる有識者と呼ばれる方が並んで登壇していますが当該障害者、制作者がいないというのが不思議に思うし。

  • あとは、僕は現場で活動してきて、例えば東さんに絵を買ってもらった障害者がいたりとか、いろんな方が、福祉施設の中で有名になってきました。今日も、やまなみ工房はじめ全国の技術あるすばらしい施設の方々が集まっているんですけど、やっぱりそういう観点でいくと本人にとって、どうなのかというのは、すごくあるんです。僕は、福祉施設で今まで絵を描いたことがなかった方々を

  • ある意味発掘をして、すごく才能のある方がたくさん、いらっしゃって。絵を描くようになって。それが、美術館に展示されるようになったんですけど、今こうして退職して、独立している今でも恐らく、彼ら、彼女らは、机に向かって絵を描いている。悪い言い方をすれば描かされてる状況なんですね。つまり、もしかすると一生ゴロゴロして楽しそうな人生かもしれな

  • いのに僕が、アートという手法を持ち込んだことによって、何か、その人の人生を変えてしまったんじゃないかなという。何か常にそういう自責の念というのは持っていまして、これが一番、僕が危惧しているところなんですよ。

  • 私がお邪魔したとき伸びやかなムード、好きなスタイルで描いていますよね。立ってたり、うとうとしてたり、描くのかと思ったらずっと鉛筆を削ってる。ちょっと描いて鉛筆削ってるとあれはすごく自由を感じましたけどね。

  • それもそうなんですけど、今日のテーマであるアートの自由というのは、一方では自由な面もあるんだけどアートワールドに投入することによって、アート業界って略奪と搾取で美術史はなっていると思うんです。そういう人の絵を取り上げて勝手に販売しているという状況とかいろいろですね。複雑な問題があると思うんです。それを、やっぱり、すごく慎重に意識的に、皆さんにやっぱり、感じてほしいなと思ってて。

  • それをただ単にアール・ブリュットが、はやっているから展覧会に出展しようとか、この商品をグッズ化しようとかしているけど、それは、ある意味で言えば障害ある人の人生を背負うことになると思うんです。それがすごく無自覚的になされている状況は警鐘を鳴らしたいと思います。

  • こういうことがあってこのフォーラムを考えるようになったんですね。ブームというのは、いい側面もあるんですけれども危険な部分もあって、今おっしゃった本人にとってどうなのか、これが最も重要なんですよね。なので、問い合わせが結構、私なんかにもあって、今から、アート活動をしようと思うんですけれども、どうすればいいですかって、すごい簡単にお話やお問い合わせがあったりするんですね。そういうの中津川さん山ほどあるでしょ?

  • それもあるし、あとどうやったら、やまなみ工房みたいなクオリティーの高い絵を描けるようになるんでしょうかというのが一番多いですね。日本全国に行くと。そうするとどういう状態でやってるんですかと聞くと、クレヨンと紙と画用紙を用意してさあ描きなさいって。誰がそれ、描けるんだよ。自分も描けないし。それを強要して、障害があるから才能があるんだろうと誤解してる人もいるし、あとは2020年に向けて

  • 何かやらなきゃいけないということで無理やり創作活動をやらせるんです。それは、かなりまずいパターンですっていうのがあります。それよりも楽しいこと。例えば、障害のある人たちが遊びをする。問題行動もいっぱいする。その遊びと、表現活動を結びつけて団体の表現に結び付けていくと、彼らはアートをやるというよりも自分を表現していく。コミュニケーションの手段としていく。それが変化していって、別に絵じゃなくてもいいんですよね。踊っててもいいし、寝ててもいいし

  • 石投げてもいいしみたいな、法律に触れないぐらいの、自分たちのやりたいことをやれば、それでいいんじゃないかと思うんですよね。その場所を作ることのほうが2020年に大きいと思うんですよね。

  • 障害当事者以外の方がキュリエーターの役割を担っているので、その人の動き方で障害のある人の人生が変わってしまうなと。僕は、施設で支援をしているときにアート活動というのは自分の支援の引き出しの1つでしかなかったんですよ。それがいまや、なんでもかんでもとにかく絵を描かせてみようとかそういう状況は違うんじゃないかなと思います。

  • 危ういところもあるんですけどアート活動をし始めたことで自分の暴力性だとか、人生の今までの痛みとかをケアできた人も多いんですよね。それでその人自身も楽になるし、ご家族も本来のキャラクターを知るというケースも多いですよね。

  • 作品を描くことでさっきの暗闇の側面みたいなのも出すことで、変わりますよね。それによって、ずっと下を向いているような人たちが顔を上げ始めたりとか。握手とか全然できないくらいにコミュニケーションがない人たちが握手を求めるようになったりということはあるんですよね。だから、表現活動を無理やりさせるということは、よくないとは思うけれども、でもどこかで無理強いじゃないな…。

  • 環境を作る…。

  • そう、環境を作ることによって変わっていって、それを乗り越えるということもあるんですよね。だから、それは障害の質とか重度かどうかということでも、たぶん変わってくるんですけど。全部が全部そのままでいいよというのではなくて、ある人にはそういう導き、促しをすることでたぶん、人生変わってくるというのも、とても大きいと思います。

  • グローさんも、いろいろな作家さんを発掘してきてますからいろんなことがあるでしょうね。大切な作品をお預かりしますし。コンペティションという話とか選ぶということをたくさんご批判いただくんです。それこそ自分の作品を飾ってほしいという方から、当事者の方からご連絡いただいて、なぜ自分の作

  • 品は飾られないのかというところでやっぱり、企画展があって、キュレーターがいて、その方が自分の伝えたいこととかコンセプトに沿って作品を選んでるんですと説明してもなかなか、理解されなかったり、もっと言うと、結構、年配の福祉施設の施設長さんと会議とかで

  • ご一緒すると、なんでグローはいいとこどりで選んでみたいなこともおっしゃられるんですけど。やっぱり、さっきから出てるとおり障害があるから、優れた作品を作るわけじゃないというのは本当にそのとおりだと思っていて。そのことと、そういうご批判があることで少しちょっと選ぶということ自体に後ろめたさを感じがちではあるんですけど、誤解を恐れずにいえば、評価される機会の平等というのは、僕、均一にあるべきだと思うんですよ。

  • 応募ができるということの、機会の平等はあるべきだと思うんですけど、結果の平等まで求める必要はないと思っていて。そのこと自体は障害がある人を差別することとは別の話であるなと思っています。

  • そうだと思います。それは、平等であるのは福祉の中では平等であるべきでしょうけど、アートやスポーツも一緒でそこに平等を求めると本当にゆがんだものになると思います。グローさんが管理している作品というのはほかの団体ですとか、ほかの展覧会とも連携するということはできるんですか?

  • お問い合わせいただいて作品を選んでいただいて、タイミングとか、もろもろ合えば。ただ、そんなに作品って、なんとかさんの作品がたくさん作らはるのも必要なので誰々さんの作品はたくさんあるけど、誰々さんの作品はちょっとしかないとか。

  • 作者の実人数で言っても、ちょっと僕、今年度は少し離れているんですけど、去年度までで言っても10人以内ぐらいの作者の、寄贈というよりは寄託ですね。預けていただいてるということで、作者が返してほしいといったら返すという決まりごとで今、作品を保管するということを目的にお預かりしているという現状です。

  • 売り込みもすごいでしょ。

  • 売り込みは、パリの「アール・ブリュットジャポネ展」のあととか本当にたくさん多くあって、本当に電話を受けるだけで1人のスタッフの1日が終わってしまうみたいな日々もちょっとの期間あったりしました。

  • 今はどうですか?

  • 今はそんなにないんじゃないかな。落ち着いています。担い手がたくさん増えてきたということもあるんですが、ご紹介いただいたとおり厚生労働省とかで都道府県単位で相談窓口が24か所ぐらいできていますので。そこの地元の問い合わせ先に問い合わせをするということもあってなのか、そんなに作品自体も評価してほしいとか見てほしいというお問い合わせを以前と比べるといただく頻度は減っています。櫛野さんのほうとかが多くいっているんじゃないですか?

  • うちが担っております。

  • 櫛野さんが1人で担っています。今、厚労省と言う話も出てきましたけど、助成金とか、どの団体にも重要なんですけれどもこの呼び方とか流れが最近ちょっと変わってきたんですよね。

  • 以前はモデル事業、表現活動支援事業、復旧支援事業とかになって全国の1県に1施設というか受け入れ団体があってそれでブロックになってという形で、だんだん最初、始まったときよりは、かなり、全国に広まってきたという感じですね。

  • その辺り、もちろん公平なんでしょうけど、どこに何がいっているかというのは公開されているんですよね。

  • 採択団体に関しては、厚生労働省のホームページに今年はどこに託しましたということは公示されています。

  • なかなか厳しいみたいで私の回りは全然、採択されないです。

  • 京子さんは、もともと選考委員というかね。

  • モデル事業という前の3年間は審査をさせていただいて、今年の芸術文化普及支援事業に変わってからは逆に申請する側に変わりました。

  • どうですか、申請する側になって。

  • 皆さん、こんなに大変な、いろんなある種、目標は設定されているので、そこをクリアしていくためのいろんなプランを書くという。審査するときも、それを読むのは、すごく大変だったんですけど、それをビッグ・アイの場合は今年はゼロから考えてやるというところで、かなり、本当に何か月かかかって。1か月ぐらい、本当に夜も遅くまでかかって、まず何をすべきかどうすべきかというところを出すのが大変でした。

  • 最近、申請も諦めがちの団体も多いようで、そこは税金なのでうまく活用していけばいいなと。果敢に工夫をしながら、どうしたら採択されるのかというのも、横の連携も持ちながら。そして、その結果、自分が関係なかったら、なかなか見ないんですよね。どこがどうなっているんだろうって見ないんですけど。

  • 最近はしっかり見て、どういう施設がどういう活動をしているのかを採択されたのかという勉強もしなければいけないなと思っています。

  • 僕もそれで関係すると、埼玉の施設がモデル事業をとって2年目、3年目になるのかな。それでかなり展覧会を作っていて本当に最初よりも熱量が、参加の施設も含めて見学のようなものもすごく増えているんです。そういった意味では、とてもいいんですけど、やっぱり横のつながりみたいなものが見えなかったりということも含めて、もう少し横のつながりと広がりみたいなものがあるといいのかなと思うんですけどね。

  • なかなか、縦割りな感じですよね。日本特有の。横でつながりたいなと思っているのでそういう発掘とか調査とかで、横串を刺すというか横断させるようなことも今ちょっと考えたりもしています。

  • そういうものが、さっき、国が入るとゆがんでしまう懸念があるという話もしましたけどやっぱりそれがないと、指針がないところもあってそれによって、いろんなものが広がっていくけど、全て正しいかというとそうでもなくて、それに対する批判であったりそれに対する改善だったりということを、どういうふうにやっていくのかなというのがちょっと見えない感じがあって、僕、結構いろんなところに呼ばれてモデル事業の下請けみたいなことをやるんです。

  • ものすごい呼ばれていますよね。

  • 日本中、いろんなところに呼ばれてワークショップやったり合宿やったり。県の人たちが来て、ひと晩中語り合ったりとか、うまい具合に連動していくといいんだけど、そこで尻切れトンボになったり、どういうふうに評価されたのかなとか、そういう、あとのフィードバックみたいなものもう少し透明性があったりすると僕も、やって終わりでどうなの?みたいな感じもあるので。そういう人たちに直接、中津川さん、どうでした?みたいな感じで

  • あったりするとこっちも意見言えるしみたいなところがあって、そういうところは、多分、これからなんだろうなと思います。

  • ここからでしょうね。私たちもその辺りも関心を持たなきゃいけないなと思います。お時間も迫ってきたので、これからの障害のある作家さんたちの作品との関わり方などいろいろ希望も含めて、お一人ずつ、いただけますでしょうか。櫛野さんからお願いします。

  • 先ほど言ったように結局搾取とかそういうことがないようにしていきたいなというのと…。

  • 搾取がなくなるって難しくないですか?社会に出るのは搾取されるってことじゃん。

  • 意識的に、その人の人生を背負う覚悟でやってほしいというのが1つともう1つは僕は今、展覧会をすることに対しても懐疑的になっていて。やっぱり本来、ストリートというかアウトサイド周辺にあるものを美術館というホワイトキューブの中に持ち込んで多くの人に見せるっていうのは、ある意味では効果的ですけど。それは作家にとって、どういう反映かというとなかなか難しいところがあって。

  • 櫛野さんは作品があるところにツアーで行くという活動をしてますもんね。

  • アウトサイドの現場訪問ツアーというのをやっています。そこで、僕を介して作家の方と参加者が話をしたりとか、作家の方も自分の人生をいろいろ語ってくれたりという個人で公共事業をやっているという感じです。

  • 反響はいかがですか?ツアーに参加した人たち。

  • 全国から来ていただいて、すごく盛況で。今後も、それをメインに続けていきたいと思っています。

  • 本当に逆の発想ですよね。こちらから行くって。ランディさん、お願いします。

  • 私は、アートという文脈の中に無記名制みたいなものが入ってきてもいいのかなと。

  • 柳宗悦が民芸運動という形で興したような本当に、彼は、職人さんのお仕事とかにある神聖なものを感じて、それをリスペクトして1つの民芸というジャンルを作られたわけです。そういう発見の仕方もあるのかなとは感じます。匿名性、無記名性というものが入ってきてもいいんじゃないかなと思います。誰かわからないけど、作り続けている。いいものがあったっていいんじゃないかなっていう。そんな広がりがこれから出てくると面白いなと思っています。

  • 多分、中津川さん、本来は、そういうものでしょ。ジャン・デュビュッフェがアール・ブリュットという提唱をしたけれどもそれ以前からもずっとあるわけですよね。誰のかわからないけど。

  • ジャン・デュビュッフェの前に1929年にやっぱり障害者の人たちの作品を処理してここには無数の最上のクレイがいるといわれていて、この作品たちは、自分の作品よりもとても崇高だという言葉を残しているんですけれども、それよりアートの世界ではアール・ブリュット云々という以前に割と了解事項として、そういうものがあったと思うんです。そこには作者名もわからないわけですよ。多分アートというのはそこがすごく大きなポイントじゃないかと思います。

  • 齋藤さん、お願いします。

  • 僕は、さっきから出てた厚生労働省の芸術文化のモデル事業の連携事務局というのを3年間、担わせてもらっていて、ちょっと、毛色の違う話になるかもしれませんが、やっぱり障害者の芸術活動を考えたときに1つ、一番大事なのは、作者の意思の決定をどう支援していくかという手続きの研究が

  • もっと障害福祉サービスを選ぶということにおいても今、どんどん実践が広がりつつあるんですけど。この芸術文化、どういう芸術文化に参加するかというか、自分の表現をどう取り扱ってほしいかということは極めて個別性の高い問題だなと思いますので、作者個人の意思決定をどのような手続きで支援するかということに取り組んでいきたいなということと、やっぱり、地域格差がまだまだあるので、

  • そういう格差がなくなるような枠組みをどう考えたらいいかなということとか。あとは、鑑賞支援とか、今年度から普及支援事業で鈴木さん、舞台のほうに尽力されますけど、これまで割と美術造形に偏りがちだった部分があると思いますので舞台、芸術の分野も、これから参加できるフィールドが広がっていったらいいなということを

  • 考えております。

  • 本人にとってというのはとても重要なことですよね。人権に関わってくるところでもありますもんね。志乃さん。

  • 櫛野さんの意見とは逆行するんですけど。私、今回関わって販売をさせていただいた作家さんに関しては、皆さん、100%販売に対しては好意的なご本人と意思の疎通がなかなか難しくても、ご家族であったりその方を見てらっしゃる福祉の方であったり、そういった方たちは皆さん総じて好意的でした。私自身も作家さんにも必ず、何度もお会いして彼らが、どういった様子で作品を制作しているかですとか

  • あとは、ご家族の意思ですとか、そういったコミュニケーションというのは本当に密に図って作品を販売させていただいているということは申し上げておきたいと思います。それともう1つはやっぱり美術作品というのは、販売がなされて、さっき服部先生もおっしゃられていましたけど、人手に渡っていくことによって後世に残っていくという性質がございますので販売を重ねていって、

  • ゴールとしては現代美術の文脈の中でも評価がなされていくということが将来的に、時間と手間はかかるかもしれませんけど、私自身も地道にそういった活動を続けていきたいと思います。

  • ありがとうございます。こんなふうに活動とか仕事としての関わり方って、多種多様でいいですよね。いろいろな考えがあって、いろいろな方法があって、その選択肢が自由にあるということが大切ですよね。私も販売しているんですけど、日本では、なかなか絵が売れづらいのでアートそのものの壁がある。

  • 私自身もこんなに売れたことにすごく驚いていまして。展覧会自体そんなに明るくて、ポジティブな雰囲気なものを展示したわけではないんですね。多様性を意識して精神障害で、ずどんと落ちていた方が描いた作品なんかも展示をさせていただいたんですけど。結局、アートってなかなか、マーケティングが難しくて、1つの作品をたった1人の人が気に入ってくれればいいわけなんですよね。だから、いろんな作品があってもいいと思うし、

  • 日本は、アール・ブリュットという原義が誤解をされていて障害を持つ人のアートということになっているというのを危惧されているようなんですけど、櫛野さんのような方が活躍なさっているところで、多様なアール・ブリュットの形をお示ししていけばまたその辺の誤解も解けていくんじゃないかなと思います。

  • マーケット改革もあるなと思うんですけど、今日、中津川さんが着ているこのTシャツと私が着ているものは、やまなみ工房さんの作品をプロのデザイナーがデザインして、パリコレで発表して商品として販売しているもの。ウィンウィンなんですね。施しではなく、支援のもっと先にいった、チャンスを生んでいるものなんです。こちらは、工房集さんの作家さんとイギリスに住む日本のデザイナーさんがデザインをして販売しているものなんですね。

  • こんなふうにチャンスも、どんどん広がっていってここから先に、絵はどれですか?どんなんですか?っていう手もあるのかなと思っています。では、京子さん。

  • 障害のある人と現実というところで、関わってきた中で、1つ、今後もやっていきたいと思うのは、芸術にアクセスするときに、先ほどおっしゃった選択の自由、選択肢があるということ。障害のある人は絵を描くだけではなくて、美術館にもきっと行きたい、絵を見たいと思うこともある音楽をやりたい、お芝居やりたい。いろんな私たちが芸術と触れるときの

  • 選択の自由っていっぱいあるんだけど、そこの選ぶときの環境が整ってないと選べない不自由さというのがあるので。いかに選択肢を増やしていけるか。アートについてもそうで、コンクールに出したい人は、どなたでも出してもらえるような環境、出したくなくて、日々、描くことが好きな人は描ける環境そういった環境を整備していく、選択肢を増やす環境を整備していく、そういったことを

  • 今後も続けてやっていきたいなと思っています。

  • 応援してます。中津川さん。今後、今、本当に忙しくて。

  • 多分2020年…まだかな。それじゃだめだと思って、今何ができるか考えているんですけど。今、1回目のシンポジウムからお話を聞いていてずっと同じことを言っちゃうんですけど、表現する彼らは作品にしても、勝手に僕らが価値付けているわけです。本当に作者が置いてけぼりになっている状況を、やっぱりなんかしたいなというのはあるんですね。やっぱり彼らが表現活動をして、クオリティーももちろんあるんですけど、僕らが勝手にアートだと名づけた

  • り、勝手にアール・ブリュットと名づけたり、あるいは別なものと名づけて、搾取したりとかっていうのもあって。僕も、それで仕事をいただいて良心が痛むところもあるし。でも、やれるんだったらそれをうまく考えながらやれたらいいなというふうに思うんですよね。それから、もう1つは、僕は今日お話があまり出なかったんですけど、原始美術、いわゆるアフリカの美術とかニューギニアとかありますよね。

  • 障害者の人たちの表現って、とても近いと感じているところがあって3年、4年ぐらい前に川崎市にある岡本太郎美術館というところで館内の友人の学芸員と2人で岡本太郎とアール・ブリュット展いう展覧会を作ったんですけど、そのときに展示したのは、障害者の自閉症の方の作品とそれからアフリカの仮面とかティンガティンガっていうアフリカの絵画とか

  • 、それから、やまなみ工房の作品とか、縄文式土器とやまなみ工房の鎌江さんの作品を同じ展示室に入れてそれでアクリルボックスをかぶせて展示したりとか、僕の自分の作品も展示して、それから特別支援学校で僕がやったワークショップの作品を岡本太郎の展示会に展示したんですね。プロのアーティストのアンリー・ルソーの作品も展示したし。障害者、アール・ブリュットと閉

  • じ込めるんじゃなくて逆につながりを見出すこと。こちらがアートとしてのメインストリームではないかということの視点も、とても大切で、そこには先ほどランディさんがおっしゃっていたアートの無記名性ということにやっぱり深く関わっていると思うんです。近代は作者、オリジナリティー、クオリティーみたいな神話が一人歩きしていますけど、基本的にはアートって、もっと無記名でひっそりとたたずんで存在しているもの。だからこそすごく人の心を揺さぶるものがあって多分、そういうことでいうと、障

  • 害者の人のアートって痛みがあるんですよね。コミュニケーションが普段できない分だけ込める思いもあるし、実は、彼らは1人の人間として強い人間だと僕は日々感じてるんですけど、そういうものが反映しているからこそ、アートとしての魅力があるということも、もっと、もっと訴えかけていきたいなというふうに思います。

  • 岡本太郎美術館での、あのアート展はものすごく面白くて、とっても考えましたね。アートというものは。なんだけど、ああいう展示会っていろんなところが連携しないと無理でしょ。

  • 集めるのは大変でした。

  • そういう意味でも分断されても誰も得をしないのでカテゴライズして、誰かとか、何かを排除しないで作家さんも作品もみんなが自由になる。アートを通じて自由になるアートそのものが自由になるということを目指していきたいなと思います。このシンポジウム、答えは出ないです。もしかしたら、もやもやが、ちょっとクリアになった人もいるかもしれませんし今日、これをきっかけに、もやもやが生まれた方もいらっしゃるかもしれません。このあと、交流会をしたいと思います。そこでお願いです。私たち、こんなにたくさんの方にお集まりいただけるとは本当に思っていませんでした。

  • これ、手作り満載のフォーラムなんですね。1人が1つのご自分の椅子を入れるところに入れていっていただけると交流会がものすごく早く始まります。ここで1回、皆さんが出て、これを全部私たちだけで

  • 片付けて、また、お帰りくださいとなると、随分お待たせしてしまいます。ちょっといいにおいもしてきてると思うんですけどホッピー、ワイン、ビール、ソフトドリンク、軽食、サンドイッチ、タンドリーチキンなどなど、ご用意しております。1000円をお支払いいただいた方はレインボーのリボンをしていると思います。これから参加したいわという方は受付のほうで、お支払いいただければと思います。お急ぎの方もいらっしゃるかと思います。お時間10分ちょっと過ぎてしまいました。どうも、申し訳ありませんでした。

  • では、これにて「障害者芸術支援フォーラム」は閉会とさせていただきます。では、お残りになる方は、引き続きお願いします。皆さん、本当に長い時間ありがとうございました。